2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

織田信長の配下の弥助とかいう黒人wwwwww

84 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/12/18(木) 12:58:23.12 ID:TNyPnJ7F0.net
弥助(やすけ、生没年不詳)は、安土桃山時代の織田信長の家臣。黒人。彌介とも[1]。

弥助の出自については、フランソワ・ソリエーが1627年に記した『日本教会史』第一巻に記述がある。
イタリア人の宣教師(伴天連)アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日した際、インドから連れてきた召使で、
出身地はポルトガル領東アフリカ(現モザンビーク)であると記されている[2] [3]。

ヴァリニャーノは日本に来る前にモザンビークに寄港した後インドに長く滞在していた経験があり、
弥助が直接ヴァリニャーノによってモザンビークから連れてこられたのか、それとも先行してにインドに渡って
いたのかはこの文章からは不明である。

天正9年2月23日(1581年3月27日)に、ヴァリニャーノが信長に謁見した際に奴隷として引き連れてこられた。

『信長公記』には「切支丹国より、黒坊主参り候」と記述されている。年齢は26歳〜27歳、「十人力の剛力」、
「牛のように黒き身体」と記述される[4]。

初めて黒人を見た信長は、肌に墨を塗っているのではないかとなかなか信用せず、着物を脱がせて体を洗わ
せたところ、彼の肌は白くなるどころかより一層黒く光ったという[5][6]。

本当に彼の肌が黒いことに納得した信長はこの黒人に大いに関心を示し、ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらい、
「弥助」と名付けて正式な武士の身分に取り立て、身近に置くことにした。天正10年4月19日(1582年5月11日)
付けの『松平家忠日記』には、「名は弥助、身の丈六尺二分、黒人男性、身はすみのごとく」とその容貌が詳細
に記述されている。

総レス数 143
27 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★