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小林麻央が死んだのは医者のせい

1 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 00:28:16.062 ID:TOjBGoZV0.net
もう抗がん剤とかやめようよ

2 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 00:28:52.538 ID:U0WNm+Sq0.net
お前のようなバカがいるから医療崩壊が起こるんだろうなぁ

3 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 00:32:17.877 ID:TOjBGoZV0.net
>>2
お前がな

4 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 00:33:07.506 ID:U0WNm+Sq0.net
>>3
その返しはおかしい
日本語不自由かよ

5 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 00:33:12.153 ID:jOdJU5KgM.net
お前らが課金しなかったからだぞ

6 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 00:33:14.681 ID:ji/0ZDolM.net
まともな理論説明できたら相手してやるよ

7 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 00:34:18.822 ID:ySzCPQ2yp.net
がんは、治療上の苦痛のほうが考え直したほうがいい気がしてきた

8 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 00:35:04.495 ID:iJ8ZQ+B80.net
まるで抗ガン剤無ければ生きてたかのような

9 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 00:35:56.198 ID:iJ8ZQ+B80.net
>>7
最近は割とそういうのも選択できる

10 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 00:40:28.948 ID:l46WK6wEa.net
逸見政孝

1993年1月
胸のみぞおちの辺りに痛みを訴え、江川卓に紹介された前田外科病院を年に1度の定期健診も兼ねて受診、
その際に「胃に初期の癌細胞を発見しました」と診断が下された。
その担当医は逸見夫妻に対して「あくまで初期の癌ですから、手術すればすぐに完治しますよ」と告知していた。

1週間後入院、胃の4分の3と周囲のリンパ節、腹膜の転移病巣を切除する3時間程度の最初の手術を受けた。
本人には胃の3分の2を取り除いたと伝えられたが、晴恵だけには前田院長が
「ご主人の病状は、実際は初期の癌ではなかった。残念ながら5年先の生存率はゼロに近いでしょう」と宣告していた。

手術から1ヶ月後に退院。
退院後も、抗ガン剤投薬や前田外科病院への検査通院を続け、同年春から新番組も始まったことで、逸見は再び軌道に乗り始めたかに思えた。

しかし、同年5月下旬頃になるとメスを入れた手術跡の線上がケロイド状に膨れ始めた。
「突起物を除去する」という名目で2度目の手術を受けたが、癌はすでに腹腔全体に広がるまでに進行しており、もはや手のつけようがない状態だった。
だが、そのような状態であったにもかかわらず、執刀医は逸見本人に癌の再発を一切告知しなかった。

当時の逸見は、前田外科病院には全幅の信頼を置いており、、何度も周囲から別の病院での診察を勧められても全く聞き入れず、加えて極めて多忙な日々を送っていた。

再手術にあたり、逸見が前田院長に直接「執刀をしてくれますね?」と尋ねた処、前田院長は笑みを浮かべながら
「丁度その頃、僕は夏休みに入っているんだよなあ」
と、思わぬ返答をされている。
さらにアメリカでの治療が直前で取り止めになったことから、逸見は次第に前田外科への不信感を抱き始めた。

同年9月にようやく東京女子医科大学病院へ訪れ、この時に初めて癌の再発を宣告される。
そして、医師団からは「何故ここまで放っておいたのですか!?」と怒られ、厳しい現状を告げられた。
そのことを受け止めた逸見は、再々手術を決意することとなった。

大手術から1ヶ月が経過した同年10月23日、突然激しい腹痛を起こして食べ物を嘔吐した。
絶食状態を余儀なくされたため逸見は徐々に衰弱していった。
体重が50kgを下回っていた同年12月16日には、再検査で腸にも転移した癌が見つかった。
主治医は、12月1日に「ご主人の体に再びメスを入れる事はこれ以上不可能。残念な話ですが、年を越せるかは厳しい状況です」と家族に宣告していた。

12月24日は、長男の誕生日だったが、この日遂に意識不明の危篤状態に陥った。
最初のガン発見から341日後、ガン告白の記者会見からわずか3ヶ月半でこの世を去った。
48歳であった。

11 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 00:43:46.901 ID:ji/0ZDolM.net
答えられないのかよ無能が
さっさと落とせ

12 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 00:54:10.323 ID:l46WK6wEa.net
逸見「主人は先生を信じ切っていましたから、のみなさいといわれた経口抗がん剤も律儀にのんでいるわけです。」

近藤「それは意味のない治療でしたね。そもそも抗がん剤は胃がんのような固形がんには効かない。患者さんを副作用で苦しめるだけです。」

5月になると手術の後に突起のようなケロイド状腫物ができ、8月にそれを取り除く2度目の手術が行われました。
身体にメスが入ると、そこは正常細胞が弱くなり、がんは増殖しやすくなります。
手術をすればするほどがんは刺激され、「怒り」、増殖するのです。
開腹手術する前から 内部にも再発、転移があることは当然わかっていたはずです。
これもまた意味のない手術でした。

逸見夫妻は前田外科医院が信用できなくなり、周りの勧めもあり、9月に東京女子医大病院の羽生富士夫教授の診察を受け、3回目の手術を決意します。
羽生教授の執刀により、内臓3キログラム(残りの胃・膵臓・脾臓・大腸の大部分)を摘出する、13時間に及ぶ大手術が行われました。
健康な人でも、内臓を3キロも取られたらまともに生きていられないでしょう。
おへそを取って、左ももの皮膚をお腹に移植、皮膚を取られた左ものの傷をおおうため、右ももの皮膚を移植。
おなかだけでなく、両足まで傷つき、どんなに痛くても動けない。
ひどい苦しみだったのに、それほどの犠牲を払う手術だったのに、わずか1か月で腸閉塞が起こるとは。

手術後、弱っていく体に鞭打つように、さらに抗がん剤が投与されました。
吐き気がひっきりなしに襲い、体力はすっかり落ち、点滴の液が体に運ぶ活力だけに頼る状態でした。
「抗がん剤を投与してからは、もうぐったりして、気持ちが悪くて口もきけない状態なんです。
抗がん剤をやらなかった方が苦しい思いをせず、長生きできたのではと思います」
晴恵さんは後悔で苦しそうに顔を歪めました。

12月21日、熱が40度以上に上がり、容体が急変。25日、家族に見守られながら永眠。
壮絶な闘いに幕を閉じました。
晴恵さんは「助けてあげられなくてごめんね。許して…」と叫びたかったそうです。

医師の言いなりにならず、自分でも学んで方法を選べば、がんでもそんなに苦しまずに死ねる。

13 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 01:01:35.184 ID:B7Hw8jbu0.net
医者も人間だからミスもするし能力差もある
疑ってかかる姿勢は必要だってことだな

14 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/06/24(土) 01:39:47.160 ID:l46WK6wEa.net
>>13
ミスというより無知に近いな

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