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数学の勉強中に「なんでこうなるんだろう」と言う思考をやめた結果wwwwwwwwww

36 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2017/08/10(木) 23:19:52.340 ID:Sld3sogM0.net
>>29
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%92%8C%E4%B9%9F_(%E6%95%B0%E5%AD%A6%E8%80%85)

エピソード[編集]
「素数の歌」「ゼータ笑いの歌」「p進数の歌」「平方剰余の相互法則の歌」「数の線路の歌」「ゼータみすかの歌」「紙時計の歌」「吉田塾合宿の歌」を作詞した。
学生のころ大学ノートを1日1冊使い切った[3]。
現在では整数論における世界的リーダーだが、学生時代は進振りの成績が良くなく、進みたかった天文学科に進めずに航空学科に進んだ。航空学科では留年した。ところが数学科に転科して代数のテストを受けたところダントツだった[4]。
「ゼータ惑星」出身説[5]。
「類体論人間」や「コホモロジーの加藤」などの異名を持つ[6]。
素数の声が聞こえる[7]。
数列の収束したい気持ちを理解している[8]。
「素数踊り」を考えた[9]。
山や街を徘徊するのを好み、大学院のゼミは井の頭公園の池のボートの上、「骨董品」と称するガラクタが至るところに積まれた喫茶店、あるいは、秩父山中のけもの道で行われることが、しばしばである[10]。
学部4年時の指導教官は河田敬義であり、修士課程・博士課程時の指導教官は伊原康隆である[11]。
自身は兵頭治、斎藤秀司、栗原将人、辻雄らの師である。
2006年の国際数学者会議の基調講演において、ゼータ世界とゼータの化身を説明する際、日本の昔話「鶴の恩返し」について4枚の彩色された挿絵付きで解説した[12]。
Hodge-Tate予想に関する結果をIHESでの講演で初めて発表した際、ピエール・ルネ・ドリーニュが驚きのあまり床に転げた[13]。

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