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SC84高岡さんがフジ韓流ゴリ押し批判したら干されたのでウジテレビ凸
- 530 :以下、VIPがお送りします:2017/10/30(月) 10:55:36.56 ID:FIqylStyf
- 2017.10.30 06:14
【阿比留瑠比の視線】「安倍大嫌い」と延々と書く朝日新聞
http://www.sankei.com/column/news/171030/clm1710300004-n1.html
元朝日新聞記者で民間非営利団体(NPO)代表の長岡昇氏が、衆院選期間中に古巣の朝日紙面に目を通した感想について、25日付のインターネット上の記事でこう記していた。
「安倍(晋三)首相が大嫌いであることだけはよく分かりました」
確かに朝日の記事を読むと、安倍首相とその政権に対する怨嗟(えんさ)と愚痴がにじんでいる。選挙戦前後の記事は、よくもここまで、感情をむき出しにできるものだと感心するほどだった。
特に自民党が圧勝した翌23日付朝刊は、新聞の顔である1面の記事からして尋常ではなく、臆測や思い込みによるとしか思えない断言が目立った。
例えば中村史郎・ゼネラルエディター兼東京本社編成局長はこう書いていた。
「安倍晋三首相は、今回も大勝した。しかし、内心苦い思いが残ったのではないか。(中略)『安倍1強』の変化を求める民意の兆しを感じたに違いない」
「圧倒的な与党の獲得議席と、底流にある民意のバランスや濃淡とのズレを感じる」
「この先の民意の行方を首相が読み誤れば、もっと苦い思いをすることになるだろう」
われわれ朝日こそ民意を把握しているとばかりに、安倍首相が「苦い思い」をしていると決め付けているが、根拠らしいファクト(事実)は示していない。コラム「天声人語」は、次のようにさらに想像力をたくましくしていた。
「(公示日の安倍首相は)演説中の目に不安の影がうかがえた。地元産のおにぎりをほおばる表情もこわばっていた」
「夏の都議選で浴びた『辞めろ』のヤジを避けるには、(第一声の現場に)静穏な農村を選ぶほかなかったのだろう」
「選挙が終わると急に権高になる首相の癖を有権者は忘れていない」
「引かれ者の小唄」という言葉を連想した。コラムだから表現が主観的になることは理解できるが、それにしても驚くべき観察眼、いや千里眼である。筆者の目には到底そんな風には見えなかったし、安倍首相が選挙後に権高になるなんてとんと承知していなかった。
また、この日の朝日社説「多様な民意に目を向けよ」も支離滅裂だった。一応は、有権者が安倍首相の続投を選んだことを認めつつもこう続ける。
「政権継続を選んだ民意も実は多様だ。選挙結果と、選挙戦さなかの世論調査に表れた民意には大きなズレがある」
まるで代議制民主主義と現行選挙制度を否定しているかのような言い草だが、選挙結果が朝日が望んだようなものだったら、こうは書くまい。選挙結果よりも自社の世論調査のほうが正当だと論じているようにも読める。
さらに、社説はこうも主張していた。
「首相は勘違いをしてはならない。そもそも民主主義における選挙は、勝者への白紙委任を意味しない」
だが、朝日は公示日の翌日の11日付社説「民意こそ、政治を動かす」では投票棄権を戒めてこう指摘していた。
「それは、政治の現状をよしとする白紙委任に等しい」
選挙の棄権は白紙委任となるのに、選挙での勝利はそうならないという理屈がよく分からない。もちろん多様な民意に耳を傾けることは大事だが、朝日に言わせると投票を棄権した人は、白紙委任したことになるのではなかったか。
ちなみに朝日は、投開票日の22日社説「棄権なんてしてられない」でも「棄権という選択は、将来を白紙委任することに他ならない」と強調し、そのすぐ横に読者の投書「棄権は政治家への白紙委任状」を配する念の入りようだった。
結局、朝日は紙面を使って、安倍首相に「大嫌いだ」と言い続けているだけではないのか。何を書こうとその新聞の自由かもしれないが、呪詛(じゅそ)のような記事を読むのは疲れる。(論説委員兼政治部編集委員・阿比留瑠比 あびるるい)
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