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洪水の日はベッドをイカダにして世界を旅するコテ雑

370 :こんちゃゃーっす!:2018/07/07(土) 22:49:50.482 ID:TaodjozZd.net
俺は、「比較的(比較対象はA´)直感性が高いA」によって、「A´を探す方向性」が規定されるだけだと思うんだよね

例えば、オロナミンが「甲は乙である」と言ったとして、オロナミンは「甲が乙である」という方向性に根拠を探索し
ようと決めるんだけど、仮に初期の直感が少し違っていて、「甲は丙である」になっていたら、「甲が丙である」という方向性に根拠を探索すると思う(当たり前だけど)

で、この時に 、乙か丙かってのは実はあんまり関係なくて、根拠を探索する能力がどれだけ高いか、あるいは(ここが重要)「
根拠を根拠として機能させるメタ的な正当化」がどれだけ精巧にできるかって能力が重要だと思う

つまり、意見の(その議論における)正当・不当の
決定因は、その意見の持つ本来的な正当性ではなく、その正当性を付与する話者の能力で決まるってこと

そんなん当たり前じゃねえかと思うかもしれな
いけど、注目してほしいのは、議論という共同作業が、「AかBかのどちらかが正解」という固定的な解を発見していく作業ではなく、話者のメタ認知能力を比べるだけの作業になってんじゃねえのってこと

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