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【「実存的境界例論」番外編】 (ヤスパースの)実存主義と仏教、それとワンピース 【ネタバレ注意】【ド素人の考察なので注意】
- 3 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:[ここ壊れてます] .net
- 仏教まとめ①~②
私は学者でも何ない、ただのそこら辺に居る一般人なので、「この考察が間違っている可能性もある」という前提の上で読んで欲しい。
もし何処か間違っていたり無礼な事を言っていたら御免なさい。
では纏めます。
①もし仮に、周囲に何も依存せず、何も作用されない、確固たる自性・独立自存なものが、一つでもあったなら、それに依ってその他のものも固定や規定されてしまうはず。
でも実際は雨は降るし、風は吹くし、お腹は空くし、ウ〇コはするし、ご飯を食べれば幸せだし、貯金が減れば不安になるし、etc・・・と、全てのものは作用・依存し合い、移ろい行く。(諸行無常)(この全てのものの依存関係が「縁起」)
すると逆説的に、この世に自性のあるものは何一つとして無いという事が分かる。(空(くう)、一切皆空)
これが仏教の基礎知識。
因みに、実存(色(しき))を徹底的に論破したのが龍樹(ナーガールジュナ)が書いた「中論」。
②その前提の上で「自分」というものを考えてみる。
「自分」を構成しているものの内、自性の無いものは「それって本当に「自分」なの・・・?」と、頭の中で剝ぎ取って行く、肉体も精神も。
すると最後に残るのは「観」。
「観」が縁起に巻き込まれず、自分に在る状態が「観自在菩薩」、ブッダの一歩手前。
「観」や「空」自体も「空」である、という至高の段階が解脱であり、涅槃であり、ブッダ。
あくまでも俺の理解に間違いが無ければね・・・。
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