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なんで神聖ローマ帝国(ドイツ)では中世以降領邦化が進んだの?

1 :アスペニート:2014/07/22(火) 03:39:25.03 ID:N6D2IkfW0.net
フランスやイングランドでは集権化が進んだのに…

2 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 03:41:07.31 ID:fV7+9bGP0.net
ドイツが豊かな地だったから

3 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 03:41:30.88 ID:+/eI76mv0.net
ドイツが豊か……?

4 :アスペニート:2014/07/22(火) 03:42:36.95 ID:N6D2IkfW0.net
>>2
フランスや北イタリアの方が豊かだったと思う

5 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 03:43:28.15 ID:+/eI76mv0.net
じゃがいもが伝わるまで飢餓に悩まされたというあのドイツが豊かだって!?

6 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 03:47:11.28 ID:+/eI76mv0.net
イベリア半島も豊かだったような
その豊かだった他の西欧諸国に比べ貧しい土地だったドイツが発展したのは甘えを許されない環境だったからか
東西を仏露という陸軍大国に挟まれているのも大きいのか

7 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 03:47:33.73 ID:fV7+9bGP0.net
>>6
はい
バカ発見

8 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 03:49:27.17 ID:+/eI76mv0.net
>>7
そりゃ人に聞いただけだからね
自分で調べたわけじゃない

9 :アスペニート:2014/07/22(火) 03:49:50.40 ID:N6D2IkfW0.net
Wikipedia情報だけど12世紀の各国の推定人口
単位は1000人

イングランド・ウェールズ 2500
フランス 10500
ドイツ 6000

http://ja.wikipedia.org/wiki/%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e4%b8%8a%e3%81%ae%e6%8e%a8%e5%ae%9a%e5%9c%b0%e5%9f%9f%e4%ba%ba%e5%8f%a3#.E3.83.A8.E3.83.BC.E3.83.AD.E3.83.83.E3.83.91

10 :アスペニート:2014/07/22(火) 03:50:40.98 ID:N6D2IkfW0.net
まあ人口だけで語っても仕方ないとは思うが

11 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 03:51:17.86 ID:6m/L1RzF0.net
そのフランスやらイングランドやらがそうなるように仕向けたからとか?

12 :アスペニート:2014/07/22(火) 03:51:44.57 ID:N6D2IkfW0.net
>>6
ドイツが発展したのいつだ?
中世史以外はろくに知らないからあやふやだ

13 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 03:51:56.03 ID:YYu1I+240.net
いい質問ですねぇ〜

14 :アスペニート:2014/07/22(火) 03:53:08.24 ID:N6D2IkfW0.net
>>11
うーん、この頃は英仏がドイツにそこまで干渉することは少なかった気がする
>>13
だろ

15 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 03:54:30.54 ID:YYu1I+240.net
誰かと思ったらまたお前か

16 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 03:56:07.79 ID:+/eI76mv0.net
軍事力と科学力を発達させた近代から現代?
あまり詳しく聞かないでね、人に聞いただけだから

17 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 03:56:25.07 ID:Pi7hMTTw0.net
皇帝と教皇が常に微妙な関係にあって、統治者が絶対的な権力を握れなかったからだろう
皇帝が諸侯に不利な政策を進めようとしたときに諸侯が皇帝を揺さぶるカードを常に持ってるからな

英国やフランスではそういったことがないので国王が中央集権化を進められた

18 :アスペニート:2014/07/22(火) 03:56:40.20 ID:N6D2IkfW0.net
しかしこの頃のフランスの豊かさは際立ってるな
同時代の日本(7750)よりも人口多い

19 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 03:57:46.70 ID:raJXAJ9i0.net
>>12
19世紀後半から

20 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:00:08.41 ID:N6D2IkfW0.net
>>17
叙任権闘争が尾をそんなにひいたのかな?
>>19
なるほど

21 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:00:09.29 ID:7fFyqbNo0.net
スレタイでお前だと思った

22 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:04:02.70 ID:N6D2IkfW0.net
最大の理由はシュタウフェン朝の衰退とその後の大空位時代に帰して理解してもいいのかな?

23 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:05:06.52 ID:dhY1hypP0.net
これは興味深いスレ

24 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:08:40.04 ID:N6D2IkfW0.net
フリードリヒ・バルバロッサの頃はかなり皇帝が頑張ってるよね
そのあとのハインリヒ六世が早死にしてフリードリヒ二世はシチリア王になっちゃったのが不味かったのかな?

25 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:09:12.70 ID:1dgMz1Id0.net
ハプスブルグ家がヘタレだった そのため権力を集中させることができず諸侯の信頼を無くした
ゲルマン民族は東ゴート族やヴァンダルといった5世紀くらいから別々の勢力が内部で元々あった

しかし一番の根本的な原因はいつの時代でも争い分裂の火だねだが、「宗教」である
キリスト教への解釈がそれぞれ異なり分裂する傾向があり、この時期多くの宗派が分裂し対立を深めた
それが30年戦争へと結びついていった
まとまらなかったのは宗教対立が根源にあるのだよ

26 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:13:05.72 ID:N6D2IkfW0.net
>>25
ハプスブルクってほぼ近世じゃね?
中世でもフランスやイングランドは徐々に国家統合への道の歩んでたんだよ
宗教対立は英仏国内でも見られたしドイツが三十年戦争時代くらいにさらにバラバラになったのは原因というよりも結果なんじゃないかな?

27 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:15:56.06 ID:1dgMz1Id0.net
結局
A俺のとこのキリスト教解釈が正しい 他は間違ってる だから一緒になんか組めるかよ
 キチガイどもめ
B何を言ってる 俺のとこが一番聖書に基づいて正しいに決まっとる お前みたいな異端支持する奴と組めるかよ
Cは?お前ら何言っとるか カトリックこそ至高だろ 
Dふざけてんのか?免罪符とか強欲な事やって何吹かしてるんだ カトリックこそ罪深き異端じゃないか
E一緒にするな俺のとこはそんな淫らな事をしない潔癖なカトリックだぞ?

と争い続けお互い信用できない状態が続いたとさ

28 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:16:20.48 ID:N6D2IkfW0.net
でもゲルマン民族が昔からいろんな部族に分かれてたっていうのは多いに関係ありそうだな
確か神聖ローマ帝国の公ってもともとは部族単位のものだったんだよね
フランスやイングランドではそんなことはなかった

29 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:17:24.92 ID:N6D2IkfW0.net
>>27
宗教改革の時代こわい

30 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:20:17.15 ID:N6D2IkfW0.net
ザクセン公とかバイエルン公は官職というより部族大公の枠組みをもろに引き継いでるらしい

31 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:20:38.45 ID:1dgMz1Id0.net
>>26
まあ主にハプスブルグ家からでたのは15世紀からだな
フランスとイギリスは国内での宗教対立はドイツほどでもなかったからまとまりやすかった

神聖ローマ皇帝がまとまらなかった理由として宗教対立が原因であることは最近けっこういろんな本読んでて目についた
まあ歴史的に分裂対立争いの原因はだいたい宗教が間違いなく絡んでる

32 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:22:46.45 ID:6u2PejkR0.net
皇帝がドイツほっぽらかしたから

33 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:22:57.10 ID:N6D2IkfW0.net
うーん、なるほど

34 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:23:29.37 ID:N6D2IkfW0.net
>>32
フリードリヒ二世のこと?

35 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:24:16.73 ID:+/eI76mv0.net
ドイツに興味がなかった皇帝というとフリードリヒ2世が思い浮かぶ

36 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:25:42.21 ID:6u2PejkR0.net
イギリスとフランスの集権化の過程は言わずもがなで
ドイツにはそれがなかったというのが1つ
本来集権の担い手たるべき皇帝がしょっちゅう不在だったのが1つ
そもそも皇帝は選挙王政だったのが0,5個分ぐらい(フランスもそうだったから)
ドイツ諸侯はフランスと違って恩貸地制に由来するところの少ない自立的な封建制だったからってのが1つ

37 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:26:54.22 ID:1dgMz1Id0.net
というかこのスレ立てた奴センスいいんじゃないのか?
佐藤優氏が京大で講演した時この質問をしたときまともに答えれる京大生がいなかったと
残念がってたそうだが

38 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:28:57.76 ID:s6S1KNJ30.net
11世紀後半〜12世紀初頭にかけて叙任権を巡り教皇と対立し権威・権力を失ったのさ
封建法で国家の体裁だけは保ったけど、裁判権、関税徴収権、さらには貨幣鋳造権まで諸侯にあげちゃう羽目に
諸侯の領地が 最高の主権領土になって、国政は皇帝直属の帝国諸侯が行ったんだよ

あとでハインリヒが裁判で没収したけど

39 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:29:26.96 ID:6u2PejkR0.net
>>34
オットー2世からずーっとイタリアばっかりだよ
オットー1世こそマジャル討伐とかやったけど
それ以降はイタリアかかりきり→教皇と争い→イタリアかかりきり→大空位時代→アビニョン捕囚時代→選帝侯の時代
皇帝の目が足元に向いたのっていつからなんだろうねって感じ

40 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:32:24.52 ID:6u2PejkR0.net
「中世以降領邦化が進んだ」っていうのと「中世以降も集権化が進まなかった」ってのを裏返しに同義で捉えてんだけど
まずいかな

41 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:32:38.45 ID:N6D2IkfW0.net
>>37
本当はそうそう簡単に結論が出るような問題じゃないのかも知れないな
>>39
イタリア政策の挫折って意味ではバルバロッサ(のレニャーノの戦い)以降かな?

42 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:34:39.79 ID:N6D2IkfW0.net
>>38
中世で皇帝が一番強いのって12世紀後半からのシュタウフェン朝期じゃないの?

43 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:35:41.71 ID:6u2PejkR0.net
>>41
ザクセン朝のイタリア政策とホーエンシュタウフェン朝のイタリア政策はやってることは似てるけど性格違うかもしれない
前者は割りと単純に西ローマ帝国復活みたいなはっきりした目的があったし教会もノリノリだった
後者はただの侵略戦争っぽさが前面に出てるから破門がしょっちゅう

ただ、ドイツの集権化が遅れて領邦化が続いたっていう観点からすればどっちも区別する必要はあんまりない

44 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:36:06.32 ID:N6D2IkfW0.net
>>40
うーん、俺もそれで合ってる気もするが
集権化が領邦単位で進んだっていうのが正確なとこかなぁ

45 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:39:01.74 ID:N6D2IkfW0.net
>>43
要はバルバロッサがイタリアを諦めてドイツに注力する流れが続いてたら神聖ローマ皇帝にもワンチャンあったってことになるかな?
実際は知っての通りドイツで内乱続けた挙句シチリア王が皇帝になったけど

46 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:41:28.27 ID:6u2PejkR0.net
>>44
集権化が領邦単位でなされたかっていうと微妙だと思う
というのも選帝侯になるような大領主のもとでも官僚制みたいな非世襲権力は近世まで生まれてないから
最高権力者が世襲されて、権力の執行者が非世襲ってのが集権化には必須かなと思う

47 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:44:59.83 ID:N6D2IkfW0.net
同時代の他の国にもそんな官僚制と言えそうなものあるっけ?

48 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:46:47.87 ID:N6D2IkfW0.net
>>1に書いた集権化という言葉が良くなかったかもな
なんて言うべきだったんだろう
統合?

49 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:47:56.85 ID:HF2GcAEQ0.net
ドイツ「周りと違うことする俺KAKKEEEEEEEEEEE」
もしくは
ただの偶然

50 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:51:30.89 ID:JSctqGX00.net
まあドイツとイタリア両方統治しようとしたのが無謀
かといってドイツを統治するには教皇の権威が必要
教皇の権威を利用する為にはイタリアを支配しなくてはならない。

というループに陥って結局ドイツ・イタリアとも地方が領邦化し
ハプスブルグあたりになると事実上ドイツ最大の領域を持った
国家にすぎないとなってしまった。

51 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:53:07.50 ID:zmgsARFxO.net
ここまでサリカ法なし

52 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:54:08.71 ID:N6D2IkfW0.net
やっぱりイタリア政策と叙任権闘争を絡める意見が多いな
>>51
サリカ法典なんか関係あるの?

53 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 04:55:31.38 ID:v39ZOEOC0.net
元来的にゲルマン系は王権よりも貴族の力が強かったしな

54 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:56:25.21 ID:N6D2IkfW0.net
ハインリヒ六世が急死してなくてもシチリアまで行ったようにイタリアにちょっかい出し続けてたのかな
シチリア介入は成功したけどまた変な火種を呼び込んでたかも知れないし

55 :アスペニート:2014/07/22(火) 04:58:57.49 ID:N6D2IkfW0.net
>>53
フランスも12世紀くらいまでは王の力よわよわだっただろ

56 :アスペニート:2014/07/22(火) 05:06:21.31 ID:N6D2IkfW0.net
こうやって考えてみるとやっぱりイングランドやフランスよりも対外的に遥かに複雑だよな

57 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 05:10:31.99 ID:1dgMz1Id0.net
神聖ローマ「帝国」の性質は実は第三「帝国」夢見たヒットラーにも引き継がれてるんだよね
対外的に排他的なのは中世から変わってないと

58 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 05:15:24.28 ID:zmgsARFxO.net
>>52
サリカ法というか、ゲルマン諸法は多くが男子均等相続制を採用してるから
レーエンが分割されれば、それだけ支配権も元来的に分割されるという下地ができる

59 :アスペニート:2014/07/22(火) 05:22:02.18 ID:N6D2IkfW0.net
>>57
そうなの?
>>58
でもフランスもサリカ法で百年戦争の時揉めてたじゃん
なんたってフランク族だしカール大帝の国もルートヴィヒ敬虔帝の死後分割されてる

60 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 05:33:23.54 ID:zmgsARFxO.net
第一、ヨーロッパの支配権は元来二層、
ゲルマン法由来の長子権であると宗主権と、
ローマ法由来の命令権(インペリウム)に分かれる
法政的に、16世紀までは各種王権は宗主権として語られ、
16世紀以降、王権強化と相まって、王権の権限を語る際にインペリウムが導入され、王権神授説もこの範囲内での立説

61 :アスペニート:2014/07/22(火) 05:36:44.07 ID:N6D2IkfW0.net
えっ、神聖ローマ皇帝ってもろ二層のうちの後者じゃないの?

62 :アスペニート:2014/07/22(火) 05:43:09.10 ID:N6D2IkfW0.net
皇帝としての権威がなかったら諸侯をイタリア遠征に動員とかできなくね?
部族大公みたいなやつらを王権で動員してたのか?

63 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 05:49:06.70 ID:zmgsARFxO.net
>>61
そう、だから原理的には帝国域内はおろか、
拡大解釈によっては、カトリックが国境の国においてもインペリウムを公使しえる
原理的には
ところが、それに対して、実際的物理的相続ではゲルマン法の均分相続と諸国の定立のもとでは、
神聖ローマ皇帝の実際的権力は諸侯の第一人者程度になるので、自分に有利な法を強制することが難しい
そんだけですわ

64 :アスペニート:2014/07/22(火) 05:58:42.81 ID:N6D2IkfW0.net
でもフランク族もゲルマン民族じゃん
サリカ法典の「サリカ」ってサリーフランクのことだろ?

65 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 06:02:24.66 ID:zmgsARFxO.net
>>64
ゲルマン法ってのは、諸部族ごとに通用するもの、つまり普遍ヨーロッパ中には通用しない
勿論、元来の成立過程を考えれば当然だけど、
その規定する内容は似通ったものにはなる

66 :アスペニート:2014/07/22(火) 06:05:50.65 ID:N6D2IkfW0.net
つまりどういうことだってばよ

67 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 06:15:44.66 ID:RiCChP+R0.net
イギリス(というかイングランド)は薔薇戦争で有力諸侯が軒並み弱体化したから
中央集権化を進める素地ができたって聞いたことがある

68 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 06:17:57.13 ID:zmgsARFxO.net
諸侯や王の物理的権限→ゲルマン法由来、均分相続

諸侯や王の支配権→ゲルマン法由来の長子権的宗主権

神聖ローマ皇帝→神聖ローマ皇帝は物理的支配者として、諸侯の地位と、ドイツ王としての宗主権、ローマ皇帝としての普遍的統治権を有する

神聖ローマ皇帝がなぜ十全にその権力を公使しえなかったか→その前提の法的根拠、執行するにあたっては、現実的権力や影響力が伴わなかったため、それを他者に強制することができなかった


さらに言えば、当時の法制度/法執行のかたちは、我々現代日本に住まう人間とは非常に違い想像しにくい
(日本では立法と行政/公安が一応はきちんと作用してるし、それが当たり前という先入観があるため)

69 :アスペニート:2014/07/22(火) 06:21:12.56 ID:N6D2IkfW0.net
>>67
薔薇戦争でかなり有力貴族が減ったのも確かなようだけど
イングランドではデーン人の襲来この方外国人の支配者の時代を何度も経験して地域を世襲で一円的に支配する大諸侯はいなかった
それがノルマン・コンクエストでさらに決定的になって一気に大陸風の封建制が持ち込まれて王に対抗できる諸侯はついに成長しなかったって感じかな

70 ::2014/07/22(火) 06:22:39.66 ID:v3XTqPfT0.net
つまり…どゆことってばよ………


サスケェ……

71 :アスペニート:2014/07/22(火) 06:23:46.78 ID:N6D2IkfW0.net
>>68
うーんなんとなく言いたいことは理解できた気がする
要は神聖ローマ皇帝として理念的な統治はハナから無理なもんだよってことね

72 ::2014/07/22(火) 06:24:18.77 ID:v3XTqPfT0.net
ドイツ人は自立精神が盛んだったのか?

73 ::2014/07/22(火) 06:24:45.09 ID:v3XTqPfT0.net
ゲルマンは我が強そう

74 :アスペニート:2014/07/22(火) 06:27:58.17 ID:N6D2IkfW0.net
たしかにそんなイメージがなくもない

75 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 06:30:35.60 ID:v39ZOEOC0.net
アーリア人の概念では基本三階級は司祭/貴族/平民で
王は基本的に貴族の第一人者だしね

76 :アスペニート:2014/07/22(火) 06:30:50.71 ID:N6D2IkfW0.net
ドイツは皇帝権が与えられてしまったから成長しなかったかもな

77 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 06:34:26.60 ID:zmgsARFxO.net
>>75
ちょっとおかしいと思う
そんな社会的構成は古代日本はおろか古代中国でもそうだよね

78 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 06:35:50.51 ID:4sxLGQve0.net
むしろなんでフランス、イングランドでは集権化進まざるを得なかったの?
集権化で呑まれちゃった地方になんかメリットあったの?

79 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 06:36:31.12 ID:A80RWblU0.net
ドイツは今でこそ先進国だが昔のライン川以東は荒涼とした蛮族の棲む田舎って認識だったんじゃね?
支配層も移り住んだ人かその土地出身でもごく一部だろうし
纏まられても困るから壁としての神聖ローマ帝国()があればよかったのか

80 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 06:40:52.64 ID:PJbmmZ1H0.net
ここはVIPなんだけど・・・

81 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 06:42:44.45 ID:j03Ar6de0.net
うるせぇポツダム宣言するぞ

82 :アスペニート:2014/07/22(火) 06:42:49.38 ID:N6D2IkfW0.net
>>78
王様が地方に対して少しずつ強くなったから
イングランドの事情は>>69な感じ
有名なマグナカルタも議会対王という形ができ(てその公益を王様も損なわないようにしなきゃいけないようになっ)たということでもある

フランスでは地方の公がかなり独立性を持っていてフランス王というのはパリ周辺の有力領主に過ぎなかったんだけど
そこから逆に頑張って公を実力で従える形で集権化を図っていった
南仏に十字軍したりね

83 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 06:42:50.31 ID:v39ZOEOC0.net
>>77
大王と豪族の具体的な権力や支配する土地の広さとかは学術界でも詳しいことはわかってないんじゃないの
大化改新で土地の私的所有ができなくなり、荘園制度の発達でこれが崩れたこと以外にはさ

84 :アスペニート:2014/07/22(火) 06:44:50.73 ID:N6D2IkfW0.net
>>79
さすがに中世の真ん中あたりではそんなこともないと思う
一応支配者は土地のドイツ人だしね

85 :アスペニート:2014/07/22(火) 06:49:17.49 ID:N6D2IkfW0.net
フランスは王様の権力が狭い地域に限られてたからこそ直轄地を発展させて所領の一円支配が進んだ面がある

86 :アスペニート:2014/07/22(火) 06:55:39.34 ID:N6D2IkfW0.net
フランスはフィリップ二世の時代にイングランド王の大陸の領地(赤)をかなり奪還して王家の直轄地(青)を大幅に増やした
即位時と死去時でこんなに違う
http://imgur.com/35E35j9.jpg

南仏の諸侯は依然としてかなり自立性を保っていたけどカタリ派を撲滅する名目でアルビジョワ十字軍が後年始まって北仏の王権に屈する

87 :アスペニート:2014/07/22(火) 07:02:05.81 ID:N6D2IkfW0.net
>>75の「貴族」はイコール「戦士」だよね
戦士階級と考えれば日本や中国とは必ずしも重ならないと思うよ

88 :アスペニート:2014/07/22(火) 07:12:38.24 ID:N6D2IkfW0.net
あげ

89 :アスペニート:2014/07/22(火) 07:31:16.26 ID:N6D2IkfW0.net
神聖ローマ帝国

90 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 07:39:37.93 ID:v39ZOEOC0.net
feudalization theory

ローマ帝国(集権)→中世諸領主(分権)→近代国家(集権)→現代資本主義の諸企業(分権)→?(集権)

91 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 07:45:53.18 ID:RGPjVs940.net
スレタイでお前だと思ったよ

92 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 07:50:28.33 ID:NQcVWR4Z0.net
なぜドイツでは領邦化が進んだのか

なぜならドイツは大陸の中央にあって有力な都市や協会がひしめいていたから

そのため、イギリスやフランスのように集権化が進まず議会制民主主義の発達が遅れた

93 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/07/22(火) 07:51:13.21 ID:vylCQE9a0.net
試験は今日か?

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