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日本兵「我々は捕虜に酷い事をしてない。炎天下の中100キロ歩かせたら勝手に死んだだけ」 尚、暴行もあった模様

1 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/08/03(日) 22:49:02.95 ID:e13urqXd0.net
スレッド
「第二次世界大戦中、日本軍が行った残虐行為のひとつとしてカウントされるバターン死の行進。アメリカの軍事史のなかでも最大の降伏だったらしい」

バターン死の行進:
第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降した
アメリカ軍・フィリピン軍捕虜民間人が、収容所に移動するときに多数死亡したことを言う。
全長は120kmで、その半分は鉄道で運ばれ、残り3日を徒歩で移動した。1日平均20km、3日間の行進であった。
フィリピンでは、バターン半島が陥落した4月9日を、勇者の日として休日に定めている。

トラックで運ばれた者や行進の先頭にいた者以外に対し、多くの虐待行為があったと言われる。
この背景として、捕虜になることを恥ずべきものとする風潮が影響していた。また日本軍ではもともと
戒告のために殴打することが日常的にあり、不服従とみると捕虜にも暴力を振るったのである。
収容所にたどり着いたのは捕虜となった約7万6千人の内、約5万4千人で、約7千人から1万人がマラリアや飢え、
疲労、その他殴打、処刑などで死亡したものと見られている。米軍の死亡者は2300人と記録されている。
監視の日本兵は少なく、逃亡は容易だったとされる。フィリピン人の場合は、現地の民衆の間に
紛れ込めばわからないので、脱走者が多かったとされている。

吉本隆明は、フィリピンにいた日本軍元兵士の証言として、次のように紹介している。
「日本軍は捕虜たちを残酷に扱ったと言われているけど、自分たちにはそんな自覚はちっともなかった。
だって、炎天下であろうがなかろうが、日本軍にとっては一日10キロも20キロも歩くのは当たり前。
いつも通りのことをやったら、捕虜たちがバタバタ倒れてしまっただけだ」「それだけ、軍隊における常識も、
アメリカと日本では違っていたということ」と主張している。

引用:http://redd.it/2c8d6i

http://www.all-nationz.com/archives/1007042038.html

2 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/08/03(日) 22:49:42.58 ID:dWV8E9qA0.net
>>1

火病患者 乙

3 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/08/03(日) 22:50:38.61 ID:kybDUlyh0.net
長い死ね

総レス数 3
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