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バカ「中世暗黒時代はキリスト教のせい、キリスト教のせいで文化が停滞した」

1 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 17:40:26.51 ID:Y1Fo1l0f0.net
ぼく「なんでビザンツ帝国とか正教会無かったことにしてんの?」
バカ「えっ・・・」

ぼく「ゲルマン人が馬鹿だっただけだよね?」
バカ「ぐぅ」

2 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 17:41:40.37 ID:s/UIF73x0.net
寒冷化と分裂はどうしようもない

3 :アスペニート:2014/09/11(木) 17:41:51.73 ID:Ss0mh06D0.net
一理なくもないけどそれも極端

4 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 17:48:57.42 ID:1VN6z1+V0.net
ルネッサーンwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

5 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 17:49:53.08 ID:iJTOq6L90.net
>>4
ひぐちカッターwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

6 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 17:51:58.48 ID:qY4lJOgFi.net
ビザンツなんてあのアジアとヨーロッパの境目で、千年王国を実現した大正義やろ。お前らがキリスト教嫌いなだけやろ

7 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 17:56:10.23 ID:ERunbcdt0.net
まあ近代化に一役買ったのがギリシャローマ文化の復興と
カトリックの見直しでできたプロテスタントだからそう思われるのはシャーない
だけどその苦労の時代は決して無駄じゃなくて準備だったんだよ

8 :アスペニート:2014/09/11(木) 17:57:44.30 ID:Ss0mh06D0.net
>>7
それを言っても「停滞」だと思い込んでる人か多くて少し困る

9 :アスペニート:2014/09/11(木) 17:59:41.03 ID:Ss0mh06D0.net
そもそもビザンツって1000年の間に飛躍的に何かが発展したわけじゃなくて西欧だって同じように発展しているだろっていう

10 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 18:03:46.33 ID:Y1Fo1l0f0.net
つーか近代化にあたって西洋からパクれるもんはことごとくパクったくせに
キリスト教やら白人はディスる日本人はジャアアアアッップと言わざるを得ない

11 :アスペニート:2014/09/11(木) 18:11:10.98 ID:Ss0mh06D0.net
むしろそこらへんのディスりは近代にヨーロッパがぶいぶい言わせてたことに対する反動にしか言えない
そして日本の近代化もヨーロッパからのおこぼれではなく自分たちで頑張ってパクったという気概があるからじゃないかと思ってる

12 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 18:13:06.46 ID:qerne4fI0.net
キリスト教という文化と価値観統一できるツールがなかったら、
ローマ崩壊後の蛮族祭りな西ヨーロッパはもっとカオス化してたろ
「文化停滞」どころの話じゃなくなる

13 :アスペニート:2014/09/11(木) 18:14:21.71 ID:Ss0mh06D0.net
それ俺も何度か書いてる
けど中世前期のイメージを全然抱けない人が多いからか通じないんだよなぁ

14 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 18:14:57.73 ID:0Fq2h7380.net
やはりお前がいたか
今や数少ないまともコテとして期待してるぞ

15 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 18:18:27.31 ID:Y1Fo1l0f0.net
「ローマの遺産であるキリスト教の後継者である」ってことで蛮族がまとまったってことか

16 :アスペニート:2014/09/11(木) 18:18:31.75 ID:Ss0mh06D0.net
アスペだしまともではないだろう

17 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 18:19:26.72 ID:Y1Fo1l0f0.net
ミラノ勅令ってでかいんだな

18 :アスペニート:2014/09/11(木) 18:23:04.17 ID:Ss0mh06D0.net
コンスタンティヌス帝の元で生まれた新たな指導階級であるセナトール貴族はキリスト教に改宗するものが多かったからな
そして彼らは世俗の官職より教会職を望むことがしばしばあった
その結果当時内乱続きで衰退し始めた地方の行政組織に教会がとって代わるようになっていく

19 :アスペニート:2014/09/11(木) 18:26:37.57 ID:Ss0mh06D0.net
旧西ローマ帝国領に侵入した蛮族は人口比で大きく被統治民であるローマの臣民に劣っていた
そして蛮族にはそれらを統治する技術もない
その結果旧来の支配者層である教会と結びついていたセナトール貴族に頼るしかなかったわけだ

20 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 18:28:34.49 ID:Y1Fo1l0f0.net
>>18
だから叙任権とかが重要になっていったって理解でいい?

21 :アスペニート:2014/09/11(木) 18:34:43.34 ID:Ss0mh06D0.net
>>20
叙任権闘争はもっとあとの時代だけど大雑把にはそうでいいかな
軍事力を背景にした蛮族の支配者が後の「中世ヨーロッパ」の貴族の系譜に繋がる
その統治は実際には教会の機能に大きく頼っていたのですぐに支配者に都合の良いやつが聖職者になるようになる
彼らは聖書もろくに読めなかったり妻帯していて俗人と何ら変わらないこともザラだった
これじゃいけないだろって運動が起こって教皇庁に任命権よこせや、いいや渡さんってなるのが中世の真ん中あたり

22 :アスペニート:2014/09/11(木) 18:41:31.21 ID:Ss0mh06D0.net
しかしその中世初期の教会の行政的機能も地方のすみずみまで強固に行き渡っているような性質のものではなかった
何しろキリスト教自体が都市部中心で農村地帯にはまだまだ異教が根強かったからね
おまけに教会は軍事力を持っていなかったのでそっちの方面で攻めてくる蛮族には対抗できなかった

その結果古代のような中央集権的政府が中世には姿を消してしまうわけだ
蛮族の侵入はキリスト教にとっては早すぎたし弱体化したローマ帝国にとっては遅すぎた

23 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 18:46:35.01 ID:Y1Fo1l0f0.net
ローマ絶賛衰退→キリスト教国教化→支配層キリスト教化
→教会が大きな力を持つ→蛮族の侵入→西ローマ滅亡

蛮族、暴れる→喧嘩はカール大帝が収める→でも蛮族は馬鹿なので統治できない
→旧来からの支配層であった教会に近づく→カール、教皇領寄進
教会からローマカトリックの守護者の大義名分を受ける→晴れて蛮族の支配が確立

こういうかんじかな

24 :アスペニート:2014/09/11(木) 18:48:41.17 ID:Ss0mh06D0.net
そもそもカトリックとかローマ教皇とかは中世初期には存在してないとも言える
当時は五大総主教のうちの一人である「ローマ司教」がいただけだからね
個々の教会同士の結びつきも弱かったしそれを統括する存在としてローマ司教が捉えられたりもしてなかったんだ
教皇権が成長し始めるのは中世前期の後半くらいか?

25 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 18:50:25.76 ID:Y1Fo1l0f0.net
あ、教皇領の寄進はピピンだっけ

26 :アスペニート:2014/09/11(木) 18:51:04.24 ID:Ss0mh06D0.net
>>23
むしろ蛮族たちの王として独占的に君臨することに成功したカール大帝にローマ教皇が接近したという方が実態に近そう
教皇に頼らずともカールが教会を抑えることは容易だったと思う
>>25
小ピピンだね

27 :アスペニート:2014/09/11(木) 18:58:24.58 ID:Ss0mh06D0.net
西ローマ司教(教皇)は他の総主教たちに対して絶対的な首位権を長らく主張したがってた
しかし教皇の世俗的基盤は薄い
特に軍事力が足りなくてイタリアのランゴバルド族なんかにしばしば圧迫される始末
いざという時にはまだ生き残ってる「ローマ帝国」であるビザンツに頼らないといけないかもしれないけど、
あそこの皇帝は教皇より自分の方が偉いと思ってるから癪だ…

そこでカールを新しい「ローマ皇帝」にしてしまって軍事的に守護を得て
ついでにその皇帝任命も教皇が行うようにすればいいんじゃね?ということをレオ三世は思いついた

28 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 19:02:33.55 ID:6bM6DQej0.net
科学の発展を遅らせて人類の滅亡を遅らせた功績はあるだろ

29 :アスペニート:2014/09/11(木) 19:04:15.58 ID:Ss0mh06D0.net
カールというかフランク王国の方が教会に接近する理由としては自らの王位に対する権威付けがある
つまりフランク王国のカロリング朝というのはメロヴィング朝の簒奪王朝なわけだよね
メロヴィング朝はその正統性に古ゲルマン王権由来の血統による神性を帯びていた
カロリング朝開祖の小ピピンはその宰相にすぎない

そこで「キリスト任命された支配者」という新たな聖性を得ようとして司教による塗油の儀式を取り入れたりした

30 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 19:06:49.27 ID:Y1Fo1l0f0.net
>>29
昔の王様ってそういう宗教的な権威付け重要だったのな

31 :アスペニート:2014/09/11(木) 19:10:27.37 ID:Ss0mh06D0.net
ゲルマン民族の王様って多分に臨時的な指揮官的要素があったみたいだからね
実力のない王が登場するとすぐに王位は転んでもおかしくない

メロヴィング朝は他のゲルマン王朝より聖なる血統の概念が強かったみたいだけど
それは早くからフランク族がローマに接近した民族だからとかだったりするのかなぁ

32 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 19:14:18.18 ID:Y1Fo1l0f0.net
つーかややこしいんだけど

カール・マルテル
    ↓
  小ピピン カロリング朝を開く 教皇領の寄進
    ↓
  カール大帝 蛮族平定 戴冠をうける

だな、おぼえとこ

33 :アスペニート:2014/09/11(木) 19:17:41.14 ID:Ss0mh06D0.net
そうそう
フランク族は侵入してきた蛮族の中でも一番早くカトリック(というか当時のローマのキリスト教)に改宗した民族で教皇にも好感を持たれてた方みたい
他のゲルマンもキリスト教徒が多かったけど異端のアリウス派だった

34 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 19:21:17.07 ID:Y1Fo1l0f0.net
>>33
ニカイアの公会議な、アタナシウスが勝ったんだよな
でこのアレクサンドリア学派とアンテオキア学派の因縁は、エフェソスの公会議でも激しいことになる

35 :アスペニート:2014/09/11(木) 19:22:54.93 ID:Ss0mh06D0.net
なんたら公会議いっぱいあってややこしいよね

36 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/09/11(木) 19:28:08.65 ID:Y1Fo1l0f0.net
一応、正教会、カトリックともに認める公会議は7つまで

Tニカイア公会議
Tコンスタンティノポリス公会議
エフェソスの公会議
カルケドンの公会議
Uコンスタンティノポリス公会議
Vコンスタンティノポリス公会議
Uニカイア公会議

まぁTニカイア、Tコンスタンティノの時点で、フィリオークエ論争とかは色々あって西と東で
だいぶ仲悪いんだけどね、でも正式に大シスマするのはもっとあと

37 :アスペニート:2014/09/11(木) 19:28:52.85 ID:Ss0mh06D0.net
>>36
なるほど
覚えよう

38 :アスペニート:2014/09/11(木) 19:31:47.90 ID:Ss0mh06D0.net
カール大帝以降封建領主が発生し始めるから本格的な「中世」ってある意味ここからだな

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