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お前らのうつ病への厳しさは異常

1 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/10/19(日) 10:06:16.53 ID:l2nlT/6P0.net
他人だけには厳しいよな

2 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/10/19(日) 10:07:49.49 ID:qXSW68qM0.net
俺は全力で励ますよ
頑張れ!お前なら出来る!皆も頑張ってるんだ!

3 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2014/10/19(日) 10:09:12.93 ID:IMrlFXUU0.net
とりあえず小学校あたりから始めるでござる
小学生だった俺は自分で言うのもなんだが滅茶苦茶勉強ができた。塾でも一番上級のクラスに居て、さらにその中でも万年一位だった
俺の母親というのがこれまた相当な勉強ママで、俺が塾のテストで校内三位を取り逃すたびに俺はド叱られた。ひっぱたかれるなんてのは日常茶飯事だったし、家から閉め出されたことも何度かある。
当時の俺にそれがおかしいことかどうかは全く分からなかったし、母親が怖かったので俺はとにかく勉強ばかりしていた。今思い返せば頭がおかしいんじゃないかというくらい勉強した。
でも限界はあった。俺は地頭は良かったようだが努力は大嫌いだ。その俺が途方もない勉強量に耐えられるはずもなく、家を自分から飛び出すこともしばしばあった。
父親はそれなりに寛容的だったが、なにぶん俺の教育は母親に任せきりだったので俺が勉強から解放されることはなかった。
それでもやはり努力というのは報われるもので、俺はかなりの進学校に入った。名前を出すのは憚られるが、テレビにもしょっちゅう出てるような進学校だ。
俺も母もたいそう喜んだ。俺はそのとき初めて、勉強してきて良かったと思った。中学校でも頑張ろうと思った。
でも、幸せはそう長くは続かなかった。
俺は中学校で落ちこぼれた。
もともと勉強が大嫌いだった俺が中学校でも努力し続けられるはずもなく、周りが俺を上回るエリート集団だったこともあって俺はそりゃもう落ちこぼれた。テストじゃ学年ドベの常連だった。
俺はそれなりに落ち込んだが、それでも正直いいと思っていた。中学の居心地は良かったし、なにより自分は進学校の生徒だという自負が俺を自惚れさせていた。
だが母のほうはそうも行かなかった。俺がテストの成績を持って帰るたびに癇癪を起こしたし、いつしか俺と母の間の会話は勉強についてのことだけになっていた、それも殆どが母親の愚痴だった。俺もいい加減辛抱できなくなった。
そんな生活が二年ほど続いて、俺はすっかり疲弊していた。次第に口数は減り、最終的に人と会話することもなくなっていた。
学校で意味の分からない授業を受けて帰って母親の愚痴を聞く、本当にその繰り返しだけの毎日だった。
そんな俺を見て、母親はやはりと言うべきかキレた。しょっちゅうヒステリーを起こすようになった。俺はそれを聞いて項垂れるでも逆ギレするでもなく、ただ無表情で見てたと思う。
母親は父のいる前では一切癇癪を起こさなかったので、そんな惨状が家の中にあるなんて父も思っていなかったろう。でも、流石にここまで来ると分かるものらしい。
父は俺を責めた。なぜ怠けてばかりいるんだ、なぜ母を困らせるんだと怒鳴った。
俺はそれも無表情で聞いていた。
ところでこのころから、俺にひとつ癖が生まれた。
どうしようもなく胸が締め付けられるような気分になると、自分の首を思いきりつねるのだ。
たしか小学生のとき読んだ小説に影響されたんだと思う。その小説の主人公も、辛いことがあると自分の首をつねる癖があった。俺はそれを真似してた。
母親に怒鳴られたとき、学校で教師に呼び出されたとき……俺は自分の首を爪で摘まんだ。
やがてそれは痣になって、両親に見つかった。
流石に親も心配したらしく、俺は心療内科に連れていかれた。
そしたら医者に鬱病だと言われた。俺は中三にして鬱を患ったのだ。それが早いのかどうかは知らない。
母は俺に泣いて謝った。
その後、俺は学校に行かなくなった。 母は人が変わったように優しくなったというか俺を甘やかすようになっていて、俺も勉強する気にはなれなかったので自堕落な生活を送っていた。
晴れて中卒ニートの誕生である。
今は死にたい死にたいなーって思いながらネトゲ三昧の毎日送ってます。自殺未遂も何度かあります

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