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二重思考(ダブルシンク)を極めてる奴いる?

448 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2015/10/23(金) 22:17:46.508 ID:fULFVlMl0.net
>>446 自由意志ない派については特に語らなくてもいいよな 直感でわかりやすいし では否定派の意見

問題はわれわれはどのような条件をもとにどの範囲で語りうるかという点にある
一般に二つの間に因果関係があるといわれるときそれらの出来事が生じた時の世界の状態全部が関係づけられるのではなく
そのなかの特定の要因についてのみに問題にされている
そしてそれらの要因どうしの関係は一度限りのものでなく
繰り返されうるものでなければその間の因果性について語ることはできない
要するに因果関係は〜〜〜のことが生じれば〜〜〜のことが生ずるという一般的な条件文の形で表現される
ということはその前提に対してわれわれは自由に変えうる立場あるいはそれがほかのようでもありえたと考えうる立場
でなければならないということである
したがってわれわれが因果的決定を語りうるのは
@原因項と結果項とを特定の要因によって規定できること
A原因項がまた決定されていない場合を考えうることという条件のもとにおいてであり
その範囲においてだけ有効である
そして実際われわれはこのことを日常的にも科学的にもいたるところで有効に使っている
ところが因果的決定論は一挙に世界のすべての出来事あるいは事物について因果連関を語ろうとする
これは
@関係づけられる項が無限に多くあり
Aもはやそれ以外の状態は考えられず繰り返すことが原理的に不可能であるわけで右の条件に反している
というAの前提をみたさずその主張は実は内容的に空虚なことである
だから決定論者は当然のことだが世界が全体として内容的にどう決定されているのかを記述することは一度もなく
ただそうなっているはずだと主張するだけにとどまらざるをえない
これは結局のところ何かが起こった後になってからそうなるように因果的に決定されていたのだというだけのことである
ここで決定されているという言葉は当の事実内容とは無関係であり宙に浮いているものである
だから法廷が犯人がいくらこの犯罪は因果で決まっているから裁かれるのはおかしいといっても
裁判官もまたこう裁くことも因果で決定されているのだと答えれば済むことである
因果的説明というのはいつも必ずの一定の限度内において行われることであり
具体的な現実に対して常に局部的あるいは側面的にたるにとどまる
自由な行為主体としてわれわれの存在はそれによっていささかも割り引かれはしないのである

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