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仏教を「信じる」という言葉は適切か

1 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:41:51.194 ID:NvwBUAf30.net
実質的に唯一神とかがないものをどうやって信じる

2 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:42:21.381 ID:94WEMdE2a.net
教えを信じる

3 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:42:39.573 ID:l/DxXEU/0.net
ごちゃごちゃうるせえな黙って信じとけ

4 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:42:48.568 ID:UBDb5tovH.net
阿弥陀仏の誓願を信じる

5 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:43:19.771 ID:0Yii3H6i0.net
信じるとはつまり思い込むことだ

6 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:43:26.197 ID:NvwBUAf30.net
>>2
教えを信じる
教えを理解する

神とかがなければ後者じゃない?

7 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:43:53.774 ID:94WEMdE2a.net
>>6
なんでだ?

8 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:44:07.647 ID:64wegJeL0.net
まあ正しく言うなら帰依か

大乗仏教の本丸も即身成仏だしな

9 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:44:17.209 ID:0Yii3H6i0.net
信じ込むわけだから適切

10 :キュア坊主 ◆Ocure013Nwik :2016/07/12(火) 20:44:59.375 ID:pXteyoDi0.net
修めるのが出家行者
成果だけ掠め取るのが在家「信」者

要するに理系と文系の関係だよ

11 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:45:01.774 ID:ZvOaOf+E0.net
仏教は哲学
信じるとかそういう事じゃない

12 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:45:33.680 ID:hNiEiA4+0.net
全ての苦しみから救ってくれるという仏を信じるのが仏教

13 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:45:49.185 ID:N5hQm7mzd.net
仏教を信じると仏教に対して執着が生まれて悟りから遠ざかる

14 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:46:11.765 ID:yuOn2Ux10.net
身に沁みすぎて信じるなどという概念がない

15 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:46:12.261 ID:0Yii3H6i0.net
>>13
あるある

16 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:46:49.043 ID:hNiEiA4+0.net
悟りをひらけると信じるのが仏教

17 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:46:57.651 ID:EiVARktja.net
仏様を信じて全てお任せしますが南無阿弥陀じゃなかったけ?

18 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:47:15.271 ID:/lUED8U50.net
「信じる」ということは何かを「求める」ということであり、
仏とは離れたところへ行ってしまう

19 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:47:54.800 ID:0Yii3H6i0.net
悟りとはつまり覚りだ
自覚を持つことを意味する

自身が思い込みに囚われている自覚をな

20 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:48:41.510 ID:UBDb5tovH.net
>>17
阿弥陀仏の衆生を助けるっていう誓願を信じて唱えるのが南無阿弥陀仏

21 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:48:58.745 ID:oibgihrUa.net
浄土信仰とかいう仏教の中でも異端中の異端wwwwww

22 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:49:19.053 ID:ge0m8ZJB0.net
死後の世界という確かめようのないものは理解の仕様がないから信じるって言葉が適切なんじゃない?
ちゃんと学問みたいに根拠がある教えもあるのかもしれないしそういう部分は理解でいいと思うけどそういうのばっかじゃないでしょ

23 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:49:20.358 ID:d5yhFRCL0.net
仏にあったら仏を殺すんだって三蔵様が言ってた

24 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:49:46.478 ID:IAc6X0q10.net
仏教ほど「すがる」宗教も少ない

25 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:49:49.675 ID:NvwBUAf30.net
>>7
論理的に説明されているものを理解することはできるが、
論理的に説明されていることを信じるとは言わないと思う
数学の教科書を信じるとは言わないのと同じで

でも俺のこの言い分も無理があるな
そこまで完璧に論理的とは言えないかもしれない

26 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:50:48.790 ID:0Yii3H6i0.net
>>25
論理的なものなどないんだよ
結局根底では感情で選んでいるのだから

27 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:50:57.995 ID:eAxI/yEoa.net
理解するが一番近いスタンスじゃないかな

28 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:51:06.349 ID:nbmT0WbE0.net
信じる信じないじゃないんだよ
1+1が2である事の様に今も昔も当然な事なんだよ

29 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:51:16.697 ID:R21VyQpr0.net
化学だって理解せず信じてるやつだらけじゃん

30 :絵は才能:2016/07/12(火) 20:51:24.002 ID:QA4nNyBTa.net
音楽は欲求の世界

31 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:51:52.089 ID:oibgihrUa.net
釈迦は「死んだらどうなりますか?」と聞かれて「そんな考えても分からないこと考えてないでどうしたら今幸せになれるか考えなよ」と言った

32 :キュア坊主 ◆Ocure013Nwik :2016/07/12(火) 20:52:07.798 ID:pXteyoDi0.net
>>23
玄奘と臨在録ってどっちが先だっけ?
歴史ニガテですわ

>>25
俺は動物行動学を信じる

33 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:52:10.012 ID:/lUED8U50.net
わかってる人とわかってない奴がいるなw

34 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:52:50.264 ID:94WEMdE2a.net
>>25
仏教っていってもピン切りだしみんな哲学的なことやってるわけじゃないでしょ

35 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:52:55.827 ID:ZvOaOf+E0.net
心の在り方がどんなものかかなり論理的に説明されてるんだけどな
でも宗派ごとに見解は違うんだけど

36 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:53:33.134 ID:oibgihrUa.net
>>27
これ
でも最終的には「理解」を超えて「体得」が必要

37 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:53:56.945 ID:0Yii3H6i0.net
解答が正しいとか合っているわけではないのだ
その解答のほうが好きなだけにすぎん

38 :キュア坊主 ◆Ocure013Nwik :2016/07/12(火) 20:54:36.956 ID:pXteyoDi0.net
>>33
執着を捨てるってのは極論に近いひとつの方法であって、「それ以外は全てダメ」ってわけじゃないんだよ
煩悩をコントロールしてむしろ推進力に変えよう、ってアプローチもあるから「求道」って言葉も成立するわけで

「執着はダメだ、煩悩は悪いものだ」ってことに執着すると元も子もないからね

39 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:54:38.153 ID:ge0m8ZJB0.net
>>31
死後の世界触れてないのか
神も無し、死後の世界も無しだと確かに他の宗教とは一線画してるのかもな
ブッダ読んで輪廻転生が仏教の教えなんだと勘違いしてたわ

40 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:55:55.403 ID:rQWKlbA40.net
形而上学的存在を教義の正当性の担保としたクソザコ宗教とは違うんだよ

41 :キュア坊主 ◆Ocure013Nwik :2016/07/12(火) 20:56:07.329 ID:pXteyoDi0.net
>>39
釈尊が生まれた時代は輪廻説が常識だった
あのパンチは割と常識人なので、その常識に従って解釈した
輪廻しない、というならそれを前提にものを考えればいいのが仏教のいいところ

42 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:57:03.676 ID:NvwBUAf30.net
仏陀が脇から生まれた、とかを含めると「信じる」って言葉が適切な部分もある
でも核となる部分を総評すると「信じる」っていう類のものだろうか

43 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:58:08.765 ID:94WEMdE2a.net
完全な悟りに至ることって出来んの?無理ゲーっぽいんだが

44 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:59:05.357 ID:oibgihrUa.net
>>39
仏教以前のインドでは死後に魂が抜けて別の肉体に宿るという輪廻転生が信じられていて、釈迦はこれを明確に否定した
仏教の輪廻転生は現代風に言うとエネルギーの循環で、この考え方は「ガイア仮説」にちょっと近い。生態系そのものが一個の生命って感じ

45 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:59:49.062 ID:R21VyQpr0.net
どんな疑念だろうと頭にぶち込む過程で最終的に信じるか信じないかの壁にぶち当たる
物事における論理性なんてオプションに過ぎない

46 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 20:59:55.792 ID:D4FOL0KFp.net
>>6
教えを理解するのと教えを信じるのは全くの別物だろ

47 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:00:10.985 ID:R21VyQpr0.net
疑念→概念

48 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:00:32.041 ID:ZitbSzmT0.net
>>37
正解はあるんだよ
その時々で答えが変わるだけで
答える人と答えを聞く人、周囲の環境で答えが変わるってだけ

49 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:01:56.647 ID:NvwBUAf30.net
>>46
別物だよ
別物であり、後者ではないのかと言っている

50 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:02:05.085 ID:R21VyQpr0.net
理解しただけの状態では判断が下されてない
どんな理由にしろそれを自分のうちに取り込むと決めた時点でそれを信じている

51 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:02:22.420 ID:f3whn1FQ0.net
関係ないけど仏教学んでる人は釈尊呼びが多いんだな

52 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:02:54.348 ID:TUUeXpghr.net
>>43
できるみたいよ
そんで悟りを開いたら、開いた後の修行ってのがあるらしい

53 :キュア坊主 ◆Ocure013Nwik :2016/07/12(火) 21:03:42.974 ID:pXteyoDi0.net
>>42
「聖者を名前で呼ぶのは不敬」「聖者は普通の生まれ方をしていないはず」「聖者は身体的特徴からして只者ではない」
ここらへんは当時の一般的な感覚なんだよ

なのでゴータマを「釈迦族の尊者」と呼んでみたり、「腋から生まれた」ことにしたり、「身長5m」とか言われても空気を読んであげるものなのよ

54 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:04:09.827 ID:NvwBUAf30.net
「信じる」ってどういう状況なのかわからなくなってきた

55 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:04:49.412 ID:UBDb5tovH.net
信じる事は難しいわ、本当に

56 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:04:52.519 ID:1Gwc7rG1K.net
>>46
理解するための大前提は信じるしかないだろ
例えば諸法無我とか諸行無常とか縁起とか

57 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:06:23.380 ID:1Gwc7rG1K.net
>>49
>>56についてどう思う?

58 :絵は才能:2016/07/12(火) 21:06:23.165 ID:QA4nNyBTa.net
絵だけは無理

59 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:06:53.253 ID:oibgihrUa.net
仏教は後付けの伝説が多すぎるせいで釈迦本来の哲学が非常に分かりづらくなっている
脇から生まれたとか地獄の閻魔大王とかね

でもしっかりと学べば理解できる

60 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:07:55.723 ID:ge0m8ZJB0.net
仏教あんまり詳しくないんだけど、後気になるのは仏像と法事関係か
仏像自体にご利益があるとか、法事ではお経をあげるとか、死後は戒名をとか
ああいうことする人は、仏教を信じてるって解釈でいいのかな
それとも論理的な理由がある?

61 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:08:47.682 ID:eAxI/yEoa.net
輪廻とかわからんけど、次生まれ変わるとしても人間になれるかどうかわからんから今を大事に生きよう という理解

62 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:09:35.231 ID:NvwBUAf30.net
>>57
どういう意味かわからない
生活レベルで例えてほしい

63 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:11:25.771 ID:NvwBUAf30.net
関係ないかもだけど、「彼氏が浮気してないと信じる」「私はあなたを信じる」って言葉にも納得できないんだよな
どこかで疑ってなかったら「信じる」って言わなくない?

仏教の話とどう繋がるかわからんけど、なんか繋がる気がする

64 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:13:35.930 ID:1Gwc7rG1K.net
>>60
どんな方法でも苦を生じるもとになる執着を断ち切ればその苦は滅するわけで、例えば死後への恐怖が苦である人にとっては浄土信仰は苦を滅する方法論なんだよ
そこで逆に「それは正しい方法論ではないだろ」という風に「正しい方法論」に執着しようとすることに意味はない

65 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:13:57.824 ID:R21VyQpr0.net
信じるとは他人や情報とかかわった時にもっともありふれた状況だ
なぜならば〜

こういう時に俺の言ってることが論理的なら俺の言うことを理解することはできる
しかし理解したから信じてないと対立させて考えるもんでもないだろ
理屈と膏薬はどこにでもつくんだから

66 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:14:42.922 ID:eAxI/yEoa.net
諸行無常は科学的知識があるほうが理解しやすいだろう

67 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:16:08.558 ID:R21VyQpr0.net
疑ったという事実の有無と信じるという発言が両方あることに何の不都合がある
べつにそれも疑ったから信じるという言葉を使えば矛盾するという性質のものじゃないぞ

68 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:16:19.519 ID:Z8BmFL2W0.net
>>63
「半信半疑」も半分疑ってる時点で完全に疑ってるからな

69 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:16:33.516 ID:NvwBUAf30.net
>>57
ごめん意味わかったかも
数学の教科書を理解するためには、数字の概念を信じないといけない
みたいな感じかな

70 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:18:00.147 ID:1Gwc7rG1K.net
>>62
例えば2+3=5であるというのは1+1=2から論理的に導けるじゃん
でもその1+1=2という最初の決めごとは「そういうものなんだ」と受け入れるしかないだろ?
泥団子と泥団子をくっつけたら大きな一つの泥団子、とか熟れたリンゴと未熟なリンゴは同じリンゴ二つじゃないだろ、とかいう考え方を棄てて1+1=2を受け入れるから2+3=5を論理的に導ける
この受け入れるってことは信じるってことだよ

71 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:18:25.062 ID:rQWKlbA40.net
道徳が正しいか知らんけど最強の神様が保証しているんだから正しいに違いない
故に我々は神(良心)の存在を信じる、というの一神教のロジック
だから地動説は衝撃だったわけ
さて仏教はどうかというと禅僧見ての通り大いに疑っていいよ

72 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:18:59.643 ID:1Gwc7rG1K.net
>>69
それよ

73 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:19:36.700 ID:fY0PVrV8p.net
何この高尚なスレ

74 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:19:54.302 ID:DOAXKDHz0.net
その点浄土真宗ってすげぇよな生きてるだけで救済なんだもん

75 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:20:39.297 ID:UBDb5tovH.net
>>74
現代人には一番難しい気もする

76 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:22:10.677 ID:NvwBUAf30.net
>>67
俺も両立させてもいいと思うよ
もっと噛み砕いて言えば、
「彼氏が浮気してる可能性はゼロじゃないけど、ここはもうゼロと見なすと思い込むことに私決定する!」ってことが「信じる」ってことなのに
それを美化されてることに納得できない
でもやっぱりこの話は仏教に関係ないわwww

77 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:22:29.266 ID:1Gwc7rG1K.net
疑うのも信じるのも苦を滅するそれぞれの方法論に過ぎない
苦が滅した後ではどうでもよくなるというか疑うことも信じることもなくなる

78 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:23:49.022 ID:R21VyQpr0.net
論理とは必ずどこかしらが不完全なものであり
だから納得という作業をもって譲歩しないといけないのだが
納得という作業には信じることが含まれている

79 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:26:11.038 ID:1Gwc7rG1K.net
>>78
論理過程はともかく前提部分は信じるしかないわな

80 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:30:13.751 ID:4VQpw6Ky0.net
仏教は悟りを得る手法の一つであって
宗教ではないよね

81 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:31:57.237 ID:NvwBUAf30.net
>>70
なるほどそれも一理ある
ただしそれは「論理そのものが信じることを前提になりたってる」ってことかな
そうなると言葉も何もこの世のものほぼ全てが信じる上になりたってて、実体のあるものは何もないような

という仏教的な結論に!

82 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:32:46.598 ID:0O0e9uW00.net
信じるということは裏切られても構わないということだ
いや自分が能動的に信じてるなら裏切るもクソもないんだけど

83 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:33:30.760 ID:ge0m8ZJB0.net
数学の根底は蓋然性によって支えられてるだろ
科学とか他の学問もそう
でも例えば死後の世界とかについてはサンプルが存在せず故に蓋然性も存在しない

この蓋然性という考え方自体もまた信じることによって成り立っているという指摘があればそれはもっともだが
仏教を信じるという言葉は適切かというテーマに対して
どんな考え方も信じるところから始めないといけないという結論は趣旨がずれてはいないだろうか

一般的に「数学を信じる」とは言わないが「死後の世界を信じる」とは言う
現状仏教は後者に分類されているがそれは正しいのか、前者に分類されるべきではないのかという話だろ

この場合信じるという言葉の定義は上記の用法に則るべきなのでは

84 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:34:23.378 ID:NvwBUAf30.net
>>78
たしかに
納得=理解+信じる
と考えると納得がいく

85 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:35:18.256 ID:1Gwc7rG1K.net
>>81
論理というのも決めごとだからね
因果関係というのは仮説でしかないし

86 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:36:15.112 ID:dbLD29Ji0.net
死んで仏さんになるってのが仏教の目的だと思うんだが、それ現世では確かめようがないな
現世で得られるものは死んで仏になるという目的を信じることによる副産物

例えば旅で言えば日光のあの寺に行こうってのが目的だとすると、得たものはその道中にある花の美しだった とかな
日光の寺ほんとにすごいのかな?感動すんのかよ?そこには確かに疑惑ある
でも花の美しさで感動 は損得感情なかった

何かご利益とかな 自分にとって役立つ、意味ある行為ってのは常に疑惑あり
でも結果得られたものは、自分にとっての役立ち、意味、損得を超えたもんなんだってことだな

87 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:37:24.183 ID:BGDuqC+z0.net
「信じる」ってのは「考えるのを止める事」なのだよ

88 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:40:22.160 ID:1Gwc7rG1K.net
>>83
> この蓋然性という考え方自体もまた信じることによって成り立っているという指摘があればそれはもっともだが

まさにそういうことを言ってるのだがずれてるだろうか

> 一般的に「数学を信じる」とは言わないが「死後の世界を信じる」とは言う
> 現状仏教は後者に分類されているがそれは正しいのか、前者に分類されるべきではないのかという話だろ

この場合、「信じる」ということは「正しいかどうか不確かながら『推論の前提』を受け入れる」という意味以外の何物でもなく、
ある公理系の公理を受け入れるという作業であることはどちらにおいても差が無いように思うが

89 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:41:24.348 ID:eAxI/yEoa.net
死んで仏さんになるのは目的ではないだろう

90 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:43:26.929 ID:/nzolIaYK.net
仏教は学ぶものじゃね
暮らしを温かく穏やかにするための考え方を知り
隣人に教えを強要せず折り合いつけて共生する

91 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:43:28.562 ID:0juH46JFp.net
仏教のアーガマはものの見方を教えてくれる本って感じだよね

92 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:43:34.758 ID:NvwBUAf30.net
>>87
これもわかる
>>70
これもわかる

でもこれを混ぜると人間は思考停止していることになる

それの折衷案が
>>83
のような気もするがちょっともう頭こんがらがってきた

93 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:43:55.988 ID:1Gwc7rG1K.net
>>87
それはそうだが言葉が足りないように見える
前提を信じるというのはメタ的な階層のことについて考えるのをやめる、ということであって
結論を信じるということは同じ階層のことについて考えるのをやめる、ということだ

94 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:45:37.139 ID:0O0e9uW00.net
お釈迦さん死んだ時点で大元の仏教は失われてるし
自分でよさげな仏教決めていくしかないのでは

あと人を信じる事と宗教信じることは全く別だと思う
なんかいい言葉はないものか

95 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:45:42.466 ID:BGDuqC+z0.net
考えなくていいから悩まなくていい
だから救われる

悪人にかかるとコントロールされる危険な代物

96 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:51:26.790 ID:1Gwc7rG1K.net
>>89
今ある苦を滅するために、死後に仏になることを信ずるというのはアリだろ(それで間に合う人にとっては)
死後に仏になれるということを担保に今の苦を滅することができるという意味で
そういう系で世の中を解釈することで苦を滅することができる人が一定数いたからそういう宗派が成立したわけで
それは本来の「仏」とは違うという意見もあるだろうが、
「仏」とは「悟った人」であり要するに「苦を滅した人」であるならば、結局は「死後に≪仏≫になれると信じてなった『苦を滅した人』」は「死後に≪仏≫になれると信じてなった『仏』」とも言えるのだと

97 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:52:58.036 ID:ge0m8ZJB0.net
>>88
まさにそういうことを言っているというのはわかるし、俺も同じようなことを考えたことはある
その考えを否定する気はないしその部分については完全に同意する
だから「数学を信じる」と「死後の世界を信じる」に差がないという視点もわかるんだ

でも実際この2つには差があるという視点も存在するし、多くの場合分けて使われるだろ
そうやって分けて使う視点に立って、さて「仏教」はどちらかという話なのではないのだろうか

両者に差がないという視点を提示してこれで解決というのは違うと思うんだ
あくまで分けて使う視点の上で話をしないと、分けて使う視点に立った時こちらに分類するのが適切かという問いの答えにはならないのではと思う

98 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:53:00.325 ID:rm8k+H110.net
>>94
どう違う?

99 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 21:58:01.402 ID:1Gwc7rG1K.net
>>92
仏陀はメタ的なことは考えても分かるわけないと判断した
で、メタ的なことは分からないとすると演繹的に考えるのは無理なので、帰納法から因縁生起や諸行無常といったことを根拠に色即是空・空即是色、無分別に至った

100 :ぺろぺろ紳士 ◆p51RVEp752 :2016/07/12(火) 22:01:31.005 ID:/C6C4n2z0.net
仏様って人間なん?

101 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:02:21.029 ID:BEqgLrayd.net
>>1
仏教の唯一神は大日如来だぞ?

102 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:03:46.577 ID:BEqgLrayd.net
あ、日本仏教は大半が適当だからな
天台宗系の浄土宗や浄土真宗や日蓮宗は、仏教を魔改造してるからな

103 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:03:50.778 ID:IfyX+eAt0.net
仏教にすがるのは正しいが
仏教に執着するのは間違い

104 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:04:06.504 ID:1Gwc7rG1K.net
>>97
その「差がある」というのは日常生活に数学と仏教の取り入れられ方の質や程度が違うことによる体感的なものであって構造上の差異ではないのでは?
単に数学ほど仏教が身近でないというような

105 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:05:25.189 ID:BEqgLrayd.net
>>38
それ間違ってるぞ

106 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:06:24.054 ID:rQWKlbA40.net
思えば仏門に入ることを帰依と言うが、割と妄信的な意味合いだな

107 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:07:00.934 ID:BEqgLrayd.net
>>44
インドじゃなくでユダヤ教
ユダヤ人の移民がインドに流入してきてアスラと呼ばれた

108 :語タク(8月中に英語・西語・中国語習得) ◆/c12.3Ehig :2016/07/12(火) 22:08:37.306 ID:tuvLt+0nr.net
こう考えるとチベット仏教ってあんま仏教感ないよな

109 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:10:34.428 ID:BEqgLrayd.net
>>86
仏になるってのは無になるって事
死んで無になる=仏になる
如来ってのは究極の一つの集合的な無
執着を捨てた先の無

110 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:13:11.076 ID:BEqgLrayd.net
ユダヤ教がインドや中国経由で、バラモン強やヒンズー教、道教や儒教の影響を受けて形を変えたのか仏教

111 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:14:23.604 ID:ge0m8ZJB0.net
>>104
確かに数学とかでも未証明の理論については信じると表現するのが適切な気もするな
証明されて実際に利用するようになると理解すると表現できる
でも証明前と証明後でこの理論に構造上の違いが発生したとは思えないから、体感上の違いに過ぎないってのはその通りかもしれない

数学は日常生活に取り入れられているし学校でも習うような身近なもので、それが正しいと体感している
故に信じる信じないではなく「理解する」と表現する

仏教に関してはまあ俺もそうなんだけどほとんどの人がよくわかってないし、それが正しいと言う体感を得ていない
でもそれが正しいと言う前提で法事などの行動を行っている
これを「信じる」と表現している

正いと体感できていないものを正しいとみなすことがこの用法に於いての「信じる」なら
仏教を「信じる」は大多数の日本人にとって適切な表現であると言えそう

112 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:17:35.368 ID:BEqgLrayd.net
ユダヤ教のセフィロトを遡り集合的無意識にたどり着くって概念が
仏教でいう末那識から阿頼耶識と深層意識に触れる事になってる

執着を捨てると言うのは、肉体への執着、自我への執着、個の確立への執着を捨てる事
つまりこの世への執着、感情や欲望への執着、自他の線引きの執着を捨てる
集合的無意識への回帰をうたっている

113 :キュア坊主 ◆Ocure013Nwik :2016/07/12(火) 22:17:50.567 ID:pXteyoDi0.net
ゼロ→1→2……って推論していけば身近な法則を元に未知の領域を推論できるんじゃないか、ってのは仏教というよりインドに昔からあった発想だよね
この考え方は理屈っぽいし、スピリチュアルではないってことからアンチクライストによって「仏教は哲学」って持ち上げられ方をする


印哲が哲学なだけなのにな

114 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:24:08.963 ID:1Gwc7rG1K.net
>>101
以下のレスは>>101を読む前に>>97宛てに書いてしまったものだが同じことを言ってるだろうか?

あるいはこういうことかな
1・数学の公理のように、ある系を考えるとき前提を受け入れる作業を「信じる」という
2・ある系を考えずに結論を受け入れる作業を「信じる」という
と、二通りある、と
これは>>93で書いたことと同じだけど、確かにこの二つは区別できるな
俺は1の意味で数学も仏教もどちらも信じることから始まる系だと言ったわけだが、
2の意味であるなら数学でいえば1+1=6だと言われたのを信じるってことになるのだろうか?一般的に「迷信」という意味で使う場合はこっちの「信じる」だな

しかしそうだとすると、迷信かどうかというのは結局は前提から結論が正しく導かれていない、ということによるのだから、
ハタから見て一見迷信に見えても信じる当人にとって十分な説明がつくなら彼の系は彼の系として整合してるんだから、やはり同じことじゃないのかな
数学のように前提が広く世に受け入れられているがゆえに他者から結論の真偽が定められる性質があるかどうか、という差でしかないんじゃないだろうか

115 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:34:12.700 ID:1Gwc7rG1K.net
>>113
仏陀は哲学者だったかもしれんが仏陀の言説を受け入れるだけなら信仰だよな
受け入れるだけで考えないなら哲学じゃない
ただ仏教は考えることを否定してないから哲学と親和性はあるよね

116 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:36:34.622 ID:0O0e9uW00.net
>>98
俺にとっちゃ信じるってのは究極の自分ルールなわけよ
色んな物を疑いまくった結果これだけは疑えない 疑いたくない 信じたいってものが対象になる
だから人によって神様の姿は違うし主義主張もまちまち
自分で信じると決めたんだから誰のせいにもできない
もし裏切られたと感じたなら自分が自分を裏切ってるわけだ

っていうのが俺の宗教

117 :キュア坊主 ◆Ocure013Nwik :2016/07/12(火) 22:39:10.830 ID:pXteyoDi0.net
>>115
イエスやムハンマド「考えることは大事、だが到底たどり着けないその先もあるからいい気になっちゃいけない。ミニ四駆は奥が深い」って言ってるだけで、
実は思考停止を推奨してるわけじゃないんだよね。

俺は大乗仏教の利他の思想がツボではあるけど、人として魅力的なのはイエスだし、ムハンマドの正しさは認めざるを得ない
特に「人は別に平等じゃない(みんなちがって、みんないい)」ってのに自然に納得できる年になってくると、ムハンマドは特に学ぶべき人物に思えてくる

118 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 22:45:44.281 ID:1Gwc7rG1K.net
>>117
イエスやムハンマドのことはよく知らないしイスラム世界のことは殆ど知らないが実際にキリスト教の神学者なんかからは哲学者は出ているからキリスト教やイスラム教そのものに哲学への親和性が無いと言いたいんじゃないんだよ
仏教が哲学的だと言われる所以は仏陀の対機説法によるのか、宗派(方法論)の自由度が高いと思ったんだ

119 :キュア坊主 ◆Ocure013Nwik :2016/07/12(火) 22:52:28.146 ID:pXteyoDi0.net
>>118
昔から宗教家は国家運営の重要戦力だから、有能であれば引き抜かれて勉強したい放題ってのが相場
なので宗教家で社会学者、とか宗教家で哲学者ってのが多いだけよ

日本だと比叡山(天台法華宗)と種智院(真言宗・空海さんの私塾)が故意にその効果を狙って作られてるよ
種智院は身分による学習機会の有無を減らすことが主軸で、しかも失敗してるけど、
叡山はご存知の通り戦国時代以降の大物が軒並み「幼いころは叡山で学んだ」になってるレベル

円教は仏教としては中途半端だけど、日本のレベルを確実に押し上げた凄いシステムなんや

120 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 23:04:33.704 ID:1Gwc7rG1K.net
>>119
いずれにせよ宗教ってのは世界を一つの系で説明しなきゃならないし、哲学もまた世界を一つの整合性のもとに解釈しようとするわけでそこに親和性はあるよね
考えれば哲学、単に信ずるだけなら宗教って感じで似て非なるものではあるけど
そんで、仏教の諸派の林立状態からはその考えるという試行錯誤の跡が見えやすいんじゃないかな、と
まあ重ねていうけどキリスト教やイスラム教とかには疎いから比較論的に言ってるわけじゃないけれども

121 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 23:05:45.821 ID:BEqgLrayd.net
>>114
受け入れるってのは、理論的に納得する事で
信じるってのは無条件で思い込むと言うか

122 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/07/12(火) 23:11:00.800 ID:a3EDD51W0.net
創価学会こそ真の仏教

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