2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ネトウヨ「俺の爺ちゃん陸軍大将だったんだぞ!」 俺「えっ、じゃあお前A級戦犯の子孫じゃん。生きてて恥ずかしくないの?」

1 :☆☆☆☆☆嫌儲速報☆☆☆☆☆ ◆taZqHR8ods :2016/12/05(月) 19:32:33.192 ID:oo6kr1i4a.net
父や祖父の足跡知りたい 元日本兵の軍歴交付急増
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201612/CK2016120502000216.html

先の戦争に従軍した元日本兵を巡り、当時の所属部隊や戦死した場所などを示す軍歴証明書の発行を親族が厚生労働省に
求め、交付される件数が急増している。海軍の資料を所管する厚労省が二〇一五年度に個人に交付した件数は、
一三年度の三倍近くに。陸軍の資料を所管する都道府県の交付件数も増えている。
 厚労省の担当者は「戦後七十年の節目だった一五年に向け、戦争に関する報道が増えたことや、祖先の軍歴を調べる
小説や映画の影響で家族の足跡を探る人が増えたのでは」と分析。今月八日には、日本軍が米ハワイの真珠湾を
攻撃してから七十五年となる。
 軍人・軍属の軍歴証明書は恩給や年金を計算する際に必要な資料で、氏名や階級、入隊日、所属部隊、転戦地や
除隊(戦死)場所が記される。海軍の履歴原表、陸軍の兵籍簿などを基に、判明する範囲で表記。海軍は厚労省
、陸軍は都道府県に請求する。
 厚労省が個人に交付した件数は、一一年度四百三件、一二年度四百六十五件、一三年度六百三十八件、
一四年度千六百五十六件、一五年度千八百六十九件。
 厚労省によると、陸軍では個人への交付件数に限ったデータはないが、年金などを調査する公的機関への交付も
含めた件数は、四十七都道府県の合計で一三年度が五千二百六十八件、一四年度が六千七十四件、一五年度が
七千三百四十八件と増加。厚労省は「公的機関への交付件数は増減が少ないため、個人分が増えたとみられる」としている。
 都道府県別では、長野県が一三年度二百三十一件、一四年度百九十七件、一五年度三百九十九件。
同県は「処理が追い付かず、現在の申請者を半年近くお待たせしている」として、今年十月下旬に受け付けを休止した。

◆知らなかった戦争身近に
 兵庫県尼崎市の納村(のうむら)綾乃さん(46)は三年前、厚生労働省から祖父神川経吉(かみかわつねよし)さんの
軍歴証明書の交付を受けた。一九四四年、三十二歳で戦死した経吉さんのことは、写真でしか知らなかった。
証明書を手にし、「じいちゃんが生きていた証しだ」と感じたという。
 二〇一三年夏、テレビで偶然、戦艦「大和」をテーマにした映画を見た。「じいちゃんも海軍だった。何か分からないかな」。
鹿児島県・沖永良部島の実家にいる母千鶴子さん(75)に電話し、遺品の手紙があることを知った。
 帰省した時、五通の手紙を読んだ。入隊間もない頃の親族への手紙は「決して生きては帰らぬぞ。死んで君国のオニと
なって帰るぞ」と勇ましかった。
 結婚して子どもが生まれてからは、家族への気遣いがあふれていた。戦死後に届いた手紙に「千鶴子はお父さんの話を
少しくらいはしますか?」と書いてあった。「死にたくなくなったのかな」と感じた。
 軍歴証明書のことを知り、取り寄せた。赤茶けた二枚の資料のカラーコピーに、入隊から戦死までに乗った船や階級の
変遷が記されていた。十八歳で志願兵として佐世保海兵団に入り、機関兵に。いったん帰郷し結婚したが、終戦二年前に
再召集された。砲艦「嵯峨」に乗り、香港島付近で戦死していた。
 戦歴をたどり、綾乃さんの中で家族への思いが強まった。母が経吉さんを思って命日に一人で海に行き、水や米を供えていたことも知った。
 綾乃さんは「じいちゃんを身近に感じ、戦死した一人一人に家族がいると思うようになった。戦争のむごさも知ることができた」と話している。

2 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/12/05(月) 19:34:52.981 ID:+TjCxPvF0.net
http://i.imgur.com/aGnmmE7.jpg

総レス数 2
4 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★