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世界は探究するものではなく克服するものだと思う。
- 1 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2019/08/29(木) 22:48:43.648 ID:IU2aVPhm0NIKU.net
- そもそも仏教では、生きるということは苦であると説いています。
有になるということは、当然有なのでその中に苦しみや痛みなども含まれます。
つまり、世界が誕生する(=有になる)ということは、痛みや苦しみの発生でもあるのです。
科学は世界を探究していますが、それは本当に必要なことかと言えば正直に言うと必要ではないと思います。
痛みや苦しみのある世界を探究しても何もなりません。
それどころか探究したいという欲望がある限り、探求が思うように進まなかったり
探究の限界がきたりした時に、欲望が満たされないために尚更苦しむことになるでしょう。
要するに、世界というのは探究をするためにあるのではなく、
衆生がどうすれば痛み苦しみを完全に取り除き、
心身共に安らぎが訪れるかというのを考える時にある壁、つまり克服しなければならない悪しきものなのではないでしょうか?
衆生の最大の目的は輪廻から解脱をすることです。
この悪しき世界から抜け出して涅槃に至ることです。
なのでこんな世界を探究しても何の意味も価値も無いのではないでしょうか?
世界とは探究するものではなく克服するものというのはそういう意味だと思います。
世界は存在自体が謎に満ちていて、無限の広がりを持ちます。
これは、衆生に探究させようとするためです。衆生を誘惑しているのです。
衆生はその誘惑に負けてはなりません。
もう一度言いますが衆生の最大の目的は輪廻から解脱することなのですから。
世界とは衆生がもつ無限の欲望を表したものなのかもしれません。
- 2 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2019/08/29(木) 22:50:25.846 ID:sd2dljzGaNIKU.net
- は?
最初から科学より仏教が正しいという前提で長々と文章書かれても結局宗教まんせーしてるだけの狂人
- 3 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2019/08/29(木) 22:51:27.559 ID:twRK7cjxaNIKU.net
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