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マルクスの疎外概念について考えているんだが俺の理解を整理していく

1 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 03:54:43.345 ID:YL8DSQv70.net
まず疎外→「現実化されるべき自己」が現実化されない状態
これはヘーゲルの疎外概念の発展させたフォイエルバッハの理論の応用
労働疎外→本来は労働を通じて自己を認識できるのだがそれが糞みたいな労働環境のせいで「自己の現実化」が果たされない

2 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 03:55:19.670 ID:825oSvVD0.net
コンビニの肉まん→美味い

3 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 03:55:58.117 ID:6uVj7GPG0.net
センター倫理受験者かな?

4 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 03:57:04.023 ID:0xjIlPIqM.net
難しそうな概念をなんとか自力で言語化に成功させると
なんでこんな簡単なことをあんなにも難しく言ったんだろう?もしかして自分の解釈が間違っているのか?
ってなるよね

5 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 03:58:01.827 ID:YL8DSQv70.net
労働疎外の側面
生産者から生産物の疎外→
生産という行為そのものにおける疎外→
人間からの自然の疎外→
類的存在からの人間の疎外→

6 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 03:59:57.790 ID:YL8DSQv70.net
上から俺の解釈(城塚登を参考に)
人間が作り出したものが逆に人間を支配している状態
人間が自分自身ではなくほかの何ものかによって動かされていること
そのように動かされている自分を自分自身とは感じられなくなっていること
人間が他人との結びつきを失った孤立した存在となること

7 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 04:04:30.102 ID:YL8DSQv70.net
『ドイツ・イデオロギー』
共産主義社会では、だれも排他的な活動領域を有していないものの、どのような活動の方向に向けても自分を発展させられるわけだが、それというのも、そのような社会では生産活動全般が統制されているため、私は、きょうはこれをおこない、あしたはあれをおこなう、たとえば、午前中は狩りをして午後には釣りをするといった自由を、さらには望むがままに夕方に牛の世話をし、食事のあとは批評する自由を享受でき、しかもそうするため猟師や漁師、牛飼いあるいは批評家になる必要すらないからだ。

8 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 04:07:50.563 ID:YL8DSQv70.net
(当時の糞ブラックな労働環境を前提として)この一節を俺なりに理解してみると
自由に労働することが類的本質の現実化を果たすのであり、共産主義社会は資本主義社会みたいに無尽蔵に強制的に一つの仕事に従事させられることのない社会である

9 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 04:10:21.566 ID:YL8DSQv70.net
マルクスにとっての自由とは類的本質の現実化を可能とすることに意義があり、疎外されていない労働者は自由な存在である。

10 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 04:14:04.435 ID:YL8DSQv70.net
しかし疎外されていない労働は考えにくい。青年マルクスは自由を労働のなかにあるとみなしていた(労働を通して自己を認識するのだから)が、後期マルクスになると自由は余暇の内にみなすようになる。労働は必要性の領域に置き入れられる。

11 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 04:17:50.781 ID:xzd74LpQa.net
働いたら負け

12 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 04:26:02.974 ID:YL8DSQv70.net
なぜなら如何なる労働も必要からなされるのであり、それは厳密に考えていくと自由とは言えないからだ。

一端整理
疎外されていない労働→自由な労働→自己を現実化できる労働→類的本質の現実化
自由の意義はこの類的(ryである
青年マルクスはこのように労働のなかで自由を実現させようとしていた
後期マルクは自由の内に労働を見いだせなくなる
なぜなら如何なる労働も必要からなされるから

13 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 04:30:52.687 ID:YL8DSQv70.net
後期マルクス

生産性が向上すれば労働量(必要性の領域)は減るが、文明化が進むと人間の欲求は増大するのでプラスマイナス0になる
なので、人間は労働しつづけるほかない(ヘーゲル的な理由で?)ので必要性の領域にとどまり続けるけれども、なんとかして労働量を削減と労働の「脱疎外」を目指して頑張るしかない

14 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 04:36:10.252 ID:YL8DSQv70.net
青年マルクスと後期マルクス
自由=疎外されていない労働/自由=余暇
青年マルクスがスミスに向けていた批判を後期マルクスはブーメランすることになる
共産主義社会になったとしても、疎外は労働に付きまとうものと理解し、自由は余暇の内にしか実現し得ないと実感したのかもしれない

15 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 04:45:55.229 ID:YL8DSQv70.net
ヘーゲルの理論に従って、マルクスは労働を通じて自己を現実化できるものであると考えた
しかし糞みたいな環境のせいでそれがうまく機能していない
この機能を復活させるためには自由に労働することが必要である
こうすることで人間という種としての考えられる本質も現実化できるようになる
共産主義社会では(当時の)資本主義社会とは違って、きちんと生産が管理されてるから永遠となにかに従事させられることはないからおkおk/ここまで青年マルクス

でもよく考えてみると自由に労働はできない
なぜならすべての労働は欲求に基づくものであって、自由の領域にあるものとは言えないからだ
そうなると非生産的な領域の余暇の内にしか自由をみいだせない
そうなると労働と疎外は常にセットになってしまう
だから頑張って労働量を減らすか、労働を人間的なものに近づけるかの方法しか残らない

16 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 04:50:29.370 ID:YL8DSQv70.net
たぶんこの理解で合ってるような気がする
間違ってたら指摘してくれ

参考文献
『ドイツ・イデオロギー』『資本論3巻』『パリ手稿』『経済学・哲学草稿』マルクスエンゲルス全集

17 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2020/11/28(土) 05:25:40.467 ID:V3Z1RGlM0.net
労働よりセックスだろう

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