■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
江戸時代の楽しみやばすぎ
- 1 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2021/06/24(木) 16:52:25.590 ID:kEJicf6Ba.net
- 石投げたり、川でぱちゃぱちゃするくらいしかないだろ
- 2 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2021/06/24(木) 16:52:48.602 ID:3ScGe0eP0.net
- それのなにがいけないんだよ
- 3 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2021/06/24(木) 16:53:00.170 ID:QI3h/MUEa.net
- 一日中歌舞伎みたい花見したり
- 4 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2021/06/24(木) 16:53:44.016 ID:s1xaQPtb0.net
- 刑務所でも2週間もすればそれが日常になる
- 5 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2021/06/24(木) 16:54:23.684 ID:UOBXc66A0.net
- 江戸時代後期の町人の一部は
たぶんお前らより数学できるよ
- 6 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2021/06/24(木) 16:54:54.615 ID:/yIcsCyQ0.net
- ちんちんいじふ
- 7 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2021/06/24(木) 16:55:35.050 ID:tw1fFIat0.net
- 江戸期の儒医学者・貝原益軒の『養生訓』(1713年)では、オナニーと性交を区別する記述はないが、精液を減損しないことが養生の基本とされ、性行為そのものを否定はしないが、過度に陥ることは害とされる。このように精液減損の観点から健康維持を説き、性行為が過度に陥ることを戒める発想は、江戸期の性を扱った書物に一般的なものであったともいう[16]。中にはオナニーを性交と区別して否定するものもある。このような発想は武士階層のみならず、漢方医の必携書にも同様の記述が見られることから漢方医を通じ、町人、農民層を含めた広範な範囲に広まっていたと考えられる。これが日本において、明治期の開化セクソロジーに見られる反オナニー言説がすんなりと受容される土台となった。だが、近代以前はそれ以降に比べ、オナニーに関して比較的おおらかであったと言える。山梨県南都留郡道志村には明治末期まで若者宿が残されており、気の合った若衆たちは娯楽場として若者宿に集い、ペニスの大きさを競い合ったり精液の飛ばし合いをしていた[17]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/オナニー
- 8 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2021/06/24(木) 16:58:36.447 ID:TJAwJk6K0.net
- でもウナギと寿司食い放題
- 9 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2021/06/24(木) 17:01:12.580 ID:Vt1xrCm50.net
- いいな朝は街中プラプラして昼は知り合いの店で鮭定食ってから適当に釣りしたり山に散歩行ったり夜は長屋のでみんなと一緒に寝るの
- 10 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2021/06/24(木) 17:01:25.041 ID:2Fl9Dr1J0.net
- 春画が流行ってた
- 11 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2021/06/24(木) 17:10:02.390 ID:RPPNsvs2r.net
- 昼は寄席とか歌舞伎見に行って夜は吉原
総レス数 11
3 KB
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★