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クレヨンしんちゃんの名レビュー探してる

1 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2024/05/18(土) 14:28:37.642 ID:2OlyJzkc0.net
オトナ帝国の逆襲のレビューなんだが、めっちゃ良いこと書いてたのに見つからない…
多分PrimeVideoに載ってたんだけど誰か知らない?
もう一度だけで良いから読みたいんだ

2 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2024/05/18(土) 14:29:21.890 ID:uR3khh+a0.net
Amazonレビューのほうを漁れ

3 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2024/05/18(土) 14:33:43.075 ID:2OlyJzkc0.net
>>2

これだ。
ありがとう。

“善悪の戦い”ではない、”前後の選択”
2016年10月19日に日本でレビュー済み
久しぶりに観ましたが、大変感動しました。以下、極私的レビュー。

 冒頭、「人類の進歩と調和」がテーマの万博を破壊する怪獣と正義のヒーロー「ひろしSUN」が相対するところから、この映画は始まります。そこで描かれているのは善対悪の構造であり、本作のテーマと対置されているようにも見えます。

 確かに、ケンとチャコは、「匂い」を用いて時間という秩序に変革を起こそうとするある種のテロリストであり、野原一家がそれに立ち向かうということからしても、明確に「敵」として描かれています。しかしその一方で、彼らは支配や搾取までを企んでいるのではありません。20世紀という時代に価値を見出し、時を遡る・止めることこそ、人々を幸せにするのであると考えているのです。さらにいえば、「匂い」により「オトナ」となった者たちも、理性的ではないにしても本能的に「オトナ」になることを”選択”しているようにもみえます。とすれば、ケンとチャコは、時の流れに身を委ね「進歩」していく現代社会に対してオルタナティブを提示する指導者、あるいは思想犯なのであって、必ずしも「悪」ではないと見ることもできます。そして、本作の「敵」役がとても魅力的である理由は、ここにあるように思われるのです。

 他方で、ケンとチャコが提示する「帝国」に全く魅力を感じない者たちがいます。春日部防衛隊をはじめとした子どもたちです。懐かしむべき過去をまだ持たないのですから、彼らが過去を志向しないのは当然です。物語は、彼ら、とりわけしんのすけを梃子にして展開していきます。ひろしは、しんのすけの呼びかけと現在の「臭い」をきっかけに自身の立場を変えることになります。ひろしの回想は、この映画のクライマックスの一つであり、実に心揺さぶられます。この回想は、ひろしが「大人」になるにつれて、彼の苦労や困難の描写が増えていきますが、その一方で家族という大きく、しかし日常的な幸福も描かれており、全体としてはとてもポジティブなものとなっています。そして、ひろしは涙ながらに「オトナ」から「大人」へと戻ることを”選択”するのです。

 本作のテーマは善対悪の戦いではありません。子どもを放置して「オトナ」へとなっていくことの道徳的問題は確かにありますが、それは決して主題ではありません。現在を中心として、未来へ進むべきか、過去へ戻るべきかという選択が本作の基本構造になっているのです。とすれば、「オトナ帝国の逆襲」というタイトルとは裏腹に、本作で真に対比されているのは”子どもとおとな”ではなく、むしろ「オトナ帝国」内部の”ケンとひろし”でしょう。映画前半で風間くんが「懐かしいってそんなにいいものなのかな」と言っているように、しんのすけたちには戻る先の過去がない以上、彼らの進むべき方向は常に未来です。しかし、ケンによる「匂い」の開発により、ひろしはじめ「大人」たちは過去か未来かという選択肢を有するに至り、ケンは過去を、ひろしは未来をそれぞれ選択します。

 もっとも、ひろしは悩みなしに未来を選択しているわけではありません。当初、「オトナ」となっていたことはもとより、「大人」へと戻った後も「懐かしさで頭がおかしくなりそうなんだよ!」と心は揺れています。そして、ケンでさえ、自身の立場に全く迷いがないとは言い切れないのではないでしょうか。さもなくば、わざわざ野原一家を自宅に招き入れ、勝負の場を用意するようなことはしなかったでしょうし、無慈悲に「匂い」を拡散させていたはずです。

4 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします:2024/05/18(土) 14:34:15.567 ID:2OlyJzkc0.net
続き

私が本作に強く魅了されたのは、この「大人」たちの割り切れなさという点にあります。家族想いのひろしでさえ、「イェスタデイワンスモア」首謀者のケンでさえ、己の立場に絶対の自信を持てないのです。過去の持つ価値を決して否定せず、また未来が希望に満ちあふれているとの全肯定もせず、あくまで中立的に「大人」の迷いあるいは弱さを正面から認めているところがとても人間的で、ここに制作者のある種の公平さが感じられます。それが本作の結末・メッセージをより一層説得力のあるものにしているのだと思います。すなわち、”それでもなお”未来は素晴らしいのであると。

 さて、現実においては時を止める・遡ることなどおよそ不可能です。だからこそ、懐古は趣味にとどまっていられます。本作では、過去が選択可能であったならばどうなるかという仮想的・実験的なifが舞台となり、「大人」たちは、過去か未来かという比較不能な価値の間でギリギリの衡量を迫られます。もし仮に「イエスタデイワンスモア」が私たちの前に現れたなら、私たちはひろしやみさえのように「匂い」に抗うことはできるでしょうか。「あの頃に戻れたならな」と考えてしまうのは人の常です。本作においてしんのすけは、未来を象徴しています。
そのしんのすけがボロボロになりながらも家族と自分自身のためにタワーを駆け上るクライマックスシーンを観ているとき、未来を生きていく上での難渋、それでも前へ進むことの意義、過去への執着・未練といった様々な考えが頭の中でごった煮になり、涙を流さずにはいられませんでした。「匂い」がなくなってしまった後、別の方法で時を止めようとするケンとチャコにしんのすけが放った言葉は、二人にとって――そして私にとっても――図らずもドキッとしてしまうものでした。それは、趣味としての懐古にかまけて上記の難題に背を向ける現実の「オトナ」たちにもまた響くのでしょう。

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