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侍ってホントに刀で斬り合ってたの?

1 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 13:33:07.272 ID:EiZa4Wb70.net
信じられない

2 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 13:33:42.400 ID:UzfLt5ZB0.net
馬鹿か死ぬだろwwwwフィクションだよ実際はスポチャン

3 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 13:35:35.784 ID:jVkLMXK/0.net
>>2
すべってるぞ

4 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 13:37:59.000 ID:KtglmjEP0.net
ほぼ装飾品だっただろうな
性能より見た目重視が大半だったらしいし

5 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 13:39:34.083 ID:CO4EmB5bd.net
幕末あたりはマジで斬りあってたよ
他の時代は他に有用な武器つかってた

6 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 13:41:54.704 ID:yl7fVnRlp.net
槍だよ槍

7 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 13:42:26.523 ID:emw4rhQkd.net
待ってホントに刀で斬り合ってたの?
に見えたから何ドン引きしてんだと

8 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 13:43:42.470 ID:RXBebQym0.net
平時は主に平民斬殺用ではないか

9 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 16:04:35.253 ID:4Mu+MK5U0.net
>>4
そのほぼ装飾品ばかりを手に乗り込んできた一向一揆衆に
一揆討伐のために武装して参陣していた信長の兄弟複数を含む
多数の軍勢が殺されてしまったと信長の家臣太田牛一が記しているな


「信長公記」
其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、
伐り崩し、御一門(信長の親族複数)を初め奉り歴々数多討死。

10 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 16:06:08.482 ID:4Mu+MK5U0.net
>>5
他の武器より有用な場合は刀を使ったしな

フロイス『日本史』
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。というのは、
薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。

・彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。すなわち隆信勢は多数の鉄砲を
有していたが弓の数は少なく、長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に
長い太刀を備えていた。

・そして戦闘が開始された。それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。薩摩勢は、敵の槍など
眼中にないかのように、その(真只)中に身を投じ、鉄砲も弾を込める
間がないので射つのをやめてしまった。

11 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 16:07:15.644 ID:4Mu+MK5U0.net
朝鮮の刀剣は短くて大して役立たなかったので日本刀を相手に足を翼のようにして
遁走したようだ

ルイス・フロイス『日本史』
・(朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。

・だが日本軍はきわめて計画的に進出し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼(のよう)にして先を争って遁走した。

12 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 16:08:14.295 ID:VJabRp3I0.net
戦国と江戸で刃渡りが違うんだよね

戦国は長い野太刀
江戸は短い打刀

後者は市街戦がメインだからだっけ

13 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 16:08:45.254 ID:ewqIIPa30.net
白兵戦なら槍
室内や森林なら刀
高台なら弓

14 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 16:10:48.075 ID:4Mu+MK5U0.net
倭寇の日本刀が自分たちの刀剣より優れているからと明の将軍たちが自軍に倭刀を
装備させたという史実もある

戚継光『紀効新書・長刀解』
日本人には遠くからの鳥銃が有効である。
だが日本人は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。
その勢いを止められない。
日本人の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。

http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm  
嘉靖年間、倭寇の被害が激しさをきわめ、戚継光、兪大猷らの提唱推薦で、
日本式の長刀、腰刀が中国軍の主要装備の一つになった。  
このような大量の使用に日本からの輸入だけで足りるはずがなく、
主体は中国自身の製造に頼らねばならない。兵器史家の周緯は、  
中国兵器史上、明代の武器は日本刀の使用と模造で一大特色をなすと述べている(23)
この論断は歴史的事実と確かに一致している。  

15 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 16:12:26.284 ID:4Mu+MK5U0.net
>白兵戦なら槍

>>10に引いたところに「そして戦闘が開始された。それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。」というように
野戦でも距離が近すぎる乱戦では槍は厳しい

16 :絵は才能:2016/08/04(木) 16:18:03.655 ID:w9rVlNSaa.net
絵とか駄目なんじゃないの

17 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 16:19:42.186 ID:srY5RPc3d.net
銃と槍な

18 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2016/08/04(木) 17:03:49.229 ID:UK8qIP270.net
鉄砲足軽も状況に応じて刀で戦うわけだから銃と槍なってほど簡単じゃないんだろうな

『雑兵物語』
・胴乱(弾丸入れ)一ぱいぶちけたらば、かるかを引ん抜て、鉄砲を腰にひつばさんで、
刀を抜て敵の手足をねらつて切めされい。

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